2023/04/19

暴力ヒロイン?

 いわゆる「暴力ヒロイン」を巡る雑感。


 「暴力ヒロイン」と言われることがあるけど、元々は「ツンデレの照れ隠し(リアクションのコミカルな過激化)」や「エキセントリックな言動のコメディキャラ(例えば魔法を撃ちまくる)」の組み合わせとして結果的に暴力行為が目立つようになっただけで、暴力それ自体が好まれているわけではなかった筈だ。

 そういうコミカルな暴行表現は、漫画『うる星やつら』(1978-1987)くらいまでは遡れるだろうか。しかも、『うる星やつら』にしても、「男性主人公の浮気という、非難されるべき振舞い」+「明らかな嫉妬」+「コメディ空間」+「鬼キャラの電撃という設定上の整合性」などの配慮が為されているからこそ、納得のいく形で成立している。それ以降も、キャラクター造形上あるいは作劇上きちんと道筋づけられた行為であることが多く、理不尽な暴力キャラはけっして多くなかった。
 80年代のコメディ漫画から始まって、90年代以降は、
 1) LN/アニメの無軌道キャラ
 2) コメディ漫画の懲罰キャラ
 3) ゲームのツンデレキャラ
これらそれぞれのアプローチから、暴力キャラは普及していったと言えるだろう。無軌道暴走キャラは、例えば『スレイヤーズ』『はぴねす』など。コメディ的懲罰行為は、例えば『晴れのちときどき胸さわぎ』(1997)には、殴打カウンターまで付いていた(https://www.nicovideo.jp/watch/sm462895)。『キルミーベイベー』のような不条理バイオレンス路線もある。ツンデレ暴力キャラは言うまでもないが、そもそも理不尽なまでに暴力を振るうヒロインはそんなにいただろうかという疑問もある。
 単純に「暴力(実力行使)=マイナス要素」と断じるのも一面的なように思う。コメディとして成立させるか、あるいは何らかの事情や正当な理由があるような描写にすれば、物語上の意味やキャラクター心理の表現や視覚的な面白味につなげることは十分可能なので。
 
 しかし、00年代以前と20年代現在では文化的な違いも大きく、媒体上の特質も異なるだろう。例えば、80年代漫画や90年代ゲームのコミカルなSD演出では笑って済んでいた描写も、現代アニメのリアリスティックな画面作りの下では非常にきつい暴力に見えてしまう可能性がある。現代社会が身体的接触や理不尽な暴力に厳しくなったことも、もちろんあるだろう。そういう違いは確かに存在するし、その意味では暴力ヒロインの位置づけもおそらく変化してきているだろう。
 
 暴力キャラが減った(あるいは、受け入れられなくなった)という観察それ自体は事実だろう。その原因としては、「暴力的ツンデレのマンネリ化」「作中世界の社会性を重視する傾向」が大きいかなと思う。前者は単なる「流行」や「飽き」の問題。後者はとりわけ異世界シミュレーション小説の影響もありそうだ。
 異世界の思考実験(simulation)を徹底していくと、物理法則や自然環境の捉え方が緻密になるとともに、作中の社会状況もリアリスティックに捉えられるようになるだろう。異世界の日常生活の社会が、常識的な諸個人によって長期持続するようなものになれば、突飛な行動をするキャラは出しづらくなる。常識的な日常生活の中で理不尽な暴力を振るいまくる人物(キャラ)がいれば、当然ながら処罰されるか、少なくとも嫌悪されるだろう。だから、安易な性格属性としての暴力キャラは、居場所を失っていく。あるいは、そのキャラに特有の事情を与えねば、作中社会が納得しにくいものになるだろう。換言すれば、一定の事情が設定されていれば暴力キャラは成立するし、現代でも暴力キャラ/暴力行為はそれなりにいると思う。露骨素朴な「暴力キャラ」として認識されていないだけで。例えば「魔王キャラ」「魔法暴走キャラ」「超頑丈なキャラへのツッコミ」「誰も文句を言えないSランク冒険者」とか。

 いずれにせよ、駄目なのは、無策無思慮に暴力キャラにすることだ。作品構成上の意味や、キャラクター造形上の個性や、演出上の配慮が凝らされていれば、いかようにでも魅力的な暴力キャラは作れるだろう。個人的には、べつに「復権」してほしくはないが、悪として大上段に切り捨てるものでもあるまい……あくまでフィクションの中での暴力描写にとどまっている限りは。徹底的に口下手不器用なキャラでもいいし、力を制御できない魔法使いキャラでもいい。なんとでもなるだろう。

 そういう暴力キャラの文脈で捉えると、『ガルフラ』(戯画、2022)のエーコにも新たな評価ができる。ヴァーチャル異世界から現実世界へ、主人公を安全に死に戻りさせてあげるために毎回絶命させてくれるヒロインは、究極的な暴力キャラであり、しかも正当な理由があり、描写としては十分にコメディ化されている。

『ガールズフランティッククラン(ガルフラ)』(戯画、2022年)。ヴァーチャル世界の暗殺者ヒロイン。
 
 「ヒロインと物理的暴力」に関して90年代以降のアダルトPCゲームが付け加えた新たな価値として、「1) サドマゾヒズム的な愛情」、「2) 命を賭けたバトルもの」を挙げることができるだろう。18禁媒体のアドヴァンテージを活用した表現でもある。

 1) について。愛情の極限として、自分の生命を相手に預け、あるいは相手の生命を自分の支配下に置いてしまうこと。また、調教SLG/AVGのような、合意の下で為される暴力行為。そして死の魅力。例えば『女郎蜘蛛』『Pigeon Blood』Innocent Grey、そして聖少女企画の一連のタイトルなどがある。
 さらに00年代後半以降は、生意気なヒロインや傲慢なヒロインに振り回されることそれ自体を目的とするタイトルは多数リリースされてきた。いわゆる「受け」「マゾヒズム」もの。『しこたまスレイブ』(2009)や『夢幻廻廊』(2005)など。

『痕』(Leaf、1996年)。鬼の力に侵されて、自分を制御できなくなった主人公が、愛する女性に救済を願うシーン。
『夢幻廻廊』(Balck CYC、2005年)。ショタ主人公が館の四姉妹から過激な心身調教を受けるという、サドマゾヒズムもののAVG作品である。

 2)について。「戦うヒロイン」が主題化されることが増え、それとともに「女性キャラクター同士の敵対関係」、「暗殺者ヒロイン」、「ヒロインと男性主人公の間の戦い(いわゆる「殺し愛」)なども、アダルトゲームが好んで扱い、牽引してきた趣向だ。Black CYC、ぱれっと、SkyFish、Triangleなど。
 さらに、JRPG的異世界ものでは騎士ヒロインなどが普及し、ミリタリ趣味を通じて銃器キャラも浸透し、こうして武装ヒロインが後押しされた。結果として、例えば暗殺メイドや銃器メイドもカジュアルに登場するようになった。こういった実力行使キャラも、「暴力ヒロイン」の文脈下に捉えられる。

『白銀のソレイユ』(SkyFish、2007年)。北欧神話ベースのバトルヒロイン物語で、戦闘シーンも多く、進行によってはヒロインが絶命する場合もある。
『MERI+DIA』(ぱれっと、2005年)。近未来舞台のハードボイルド路線の作品。銃撃戦を初めとして、激しい戦闘シーンが含まれる。
『魔法戦士シンフォニックナイツ』(Triangle、2007年)。神秘的な力を身につけたヒロインたちが魔物勢力と戦うシチュエーションだが、魔法戦士が悪役主人公の側に寝返る場合もある。

 結局、「暴力ヒロイン」といっても様々な歴史的な経緯と分野的な価値が絡み合った複雑な現象であり、その広がりを十分に把握しなければ公平な評価はできない。特定のキャラ造形(90~00年代的なテンプレ暴力キャラ)のみに絞るならば絞るで、論者自身がその理由とコンテキストを明示すべきだろう。