2026/09/15

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第12話

 第12話「いつもと変わらない草原」

 原作第24-25幕(単行本第4巻所収)の全体。さらにエピローグ部分では、第26幕の内容にも触れている。時代はひきつづき1232年の秋。
 サブタイトル「いつもと変わらない草原」は、作中の「以前と何も変わらない いつもの草原」から取っている。
 脚本は、シリーズ構成も務めている加藤還一(第1、5、11、12話を担当)。絵コンテの「ちな」は、本作には初参加。演出は中村亮介とちなの連名(中村もこの最終話が初参加)。
 今回もストーリーの大筋は原作に即しているが、シーン構成のアレンジ、映像的な独自演出、台詞周りの整理、そして印象的な独自シーンの追加など、最終話に相応しく手の込んだ調整が施されている。

2026/09/06

2026年9月の雑記

 2026年9月の雑記。

 09/06(Sun)
 アニメ『グロウアップショウ』のタイトルにどこか既視感があると思ったら、あっ……スプラッター系ADV『ゴア・スクリーミング・ショウ』だ。たしかに「グロ」いし、ピエロも登場するけど、よりにもよってあの危険作とは……。


 「百合」関係という言葉は広狭2つの意味を持ちうるので、「百合」を語る会話がお互いの趣旨を取り違えてしまっているのを、よく見かける。つまり、女性2人のあいだの様々な形態の、基本的には相互承認的な精神的関係(広義?)としてアプローチする見方もあれば、もっぱら女性同士の同性愛ロマンス(狭義?)のつもりで話している人もいる。その前提がズレていると致命的だよね……。もったいない。


 大昔のネットスラングなどで、現在では誰も使っておらず、検索してもヒットしないような代物は、いわば古代魔法を詠唱するようなものかもしれない。ただし、その言葉の魔術的効果ももはや発揮されない(ネタが伝わらない)という問題があるけど。


 アニメ版『カムイさん』第10話は、「車の人」が文字通り「車の人」という名前(?)でクレジットされている(山姥役)。もう一人の「高女」役は、春乃いろは氏。オカルト好きな「イナガワ」は井澤氏だし、キャストと原作は面白いのだけどなあ……(※アニメ版の映像は、低予算12分アニメなので面白味は乏しい)。

 『透明な夜に』第10話には、西垣俊作氏が出演していた。役は花火職人の一人だが、地上波系アニメで耳にしたのは久しぶり。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第11話

 第11話「不器用な石」

 原作漫画の第22幕の途中から、24幕の最初(4巻53頁)まで。時代はひきつづき1232年の秋以降と考えられる。ボラクチンの回想シーンは、1226年から始まって最新時点まで進んでいく。
 サブタイトル「不器用な石」は、原作由来の台詞から取っている。ボラクチンにおいては、輝く宝石にはなり得ない(と自己規定している)が、そこに新たな角度から有用なポテンシャルを見出す能力として。主人公ファーティマについては、モンゴルの政局に右往左往しつつ転がっていく小さな石のような存在として(※す彼女は使者の役目すら果たせていないが、その言動が想定外の影響をもたらしている)。そしてソルコクタニは、取引に使われる単なる道具としての宝石になりかけていたが、その役割を振り払おうとする意志を示したという意味で。今回フィーチャーされている三人の女性の生き方を、それぞれに示唆するサブタイトルである。
 脚本は加藤還一(第1-2、5話も担当)。絵コンテは、愛敬亮太(初)と山田総監督、Gongora監督の三者が名を連ねている。演出は井分詢也(初)。愛敬氏は『mono』(2025)で監督経験あり、井分氏は近年のいくつかの作品で原画や演出の実績があるようだ。
 今回は細かな追加カットが多いが、エンディングムービーを潰して(クレジットを本編に重ねて)までたっぷり描ききっているので、これらのアレンジは映像上、大きな意味のある描写として扱われていると考えるべきだろう(※ただの尺調整だったら、こうはしなかった筈だ)。

2026/09/01

アニメ雑記(2026年9月)

 2026年9月の新作アニメ感想(※だいたい第9話以降)。
 『キャラメリゼ』(現時点での評価は80点)、『クレバテスII』(65点)、『グロウアップショウ』(70点)、『さよならララ』(85点)、『手札が多め』(70点、全9話で完結)、『ジャードゥーガル』(85点)、『透明な夜』(65点)、『ふつつかな悪女』(75点)、『BLACK TORCH』(70点)の9本を視聴。


●『乙女怪獣キャラメリゼ』
 第9話。終盤に向けて、周囲の状況が動き始めたが、ここに来て重要そうな新キャラを2人も追加とは……。目撃者の少年は「米山」。そして俳優の「桂木」は、良い声だと思ったら山村響氏が演じていた。主人公カップルもそれぞれに変化があって、ずいぶん忙しい。演出面でも、爆発する水面の作画から、妹怪獣の巨大感と迫力を存分に見せるレイアウトまで、アニメ&特撮史のノウハウの蓄積を的確に活用していて見応えがある。
 初々しい恋愛感情と、平成少女漫画風のデフォルメ絵、そして怪獣スペクタクルが混じり合っていて、たいへん面白いのだが、同時にその満載っぷりに疲労感もある。

 第10話は、タイトル通りの破局エピソード。少女漫画としては正統派なのに、物語進行のスピード感と視覚表現のユニークさとキャラづけの尖りっぷりを絶妙にコントロールしているおかげで、ドラマティックな流れに引き込まれる。大都市の夜景の硬質かつ刹那的な雰囲気もストーリーにマッチしている。

 第11話。赤い怪獣が市街地で大暴れし、そして二人はお互いへの気持ちを再確認する。Aパートは怪獣特撮のノウハウを活用した外連味のある巨大感&重量感の演出が素晴らしいし、後半は少女の叫びと怪獣の咆哮をオーバーラップさせつつの怪獣バトルが悲しくもドラマティックな迫力に満ちている。脚本進行は少々凸凹しているように感じるが、クライマックスシーンのパワーで押し切っているし、思い出の場所が破壊されていく悲哀も、怪獣もの+恋愛ものならではの武器を最大限に活かしている。劇伴も、メインテーマのアレンジで情趣を添えている。上手い。


●『クレバテスII』
 第9話。展開が粗雑かつ唐突なので、まるで面白くない。本がいきなり勢揃いするし、ループ回廊のトリックもゲームか何かのように作為的だし、しかも鏡の世界では画面がぼやけていて非常に見づらいし、説明過多のモノローグも相変わらず。人形たちとのバトルシーンだけはよく動いていたが、それ以外には見どころが無い。トップダウンの設定羅列と、現場のアニメーション表現に二極化してしまって、それらをつなぐべきドラマ作りが致命的に欠如しているせいで、ひたすら散漫に見える。
 関根氏の(事実上の)二役芝居は、さすがの出来映え。モンゴル舞台のアニメよりもよほど魔女らしく振舞っている。

 第10話。おそらく原作の大筋をパッチワークで繋いでいるだけで、設定の説明に汲々としてドラマとしての面白味がまるで無いし、個々のキャラクターの行動原理も実感できない。個別のシーンとしては、最強の父親との対決や、成長した赤子など、ポテンシャルはあるのだが。映像(作画)そのものは悪くないのだが、シナリオ(シリーズ構成)が致命的に失敗しているのだろう。言い換えれば、一クールのアニメに収めるのに無理があったと思われる。
 関根明良氏の芝居は、すでに強キャラの格(オーラ)まで身につけているのが凄い。いや、デビューから十年以上で、そろそろ中堅クラスのキャリアではあるのだが。数年前のタイトルでは、まだ元気なだけで今一つかなと感じたものだが、『第七王子』では力演にしっかりした芯が入っていて感心した覚えがある。しかし、ここまでの力量を発揮されるとは……目が曇っていた、ならぬ、私の耳が至らなかったと反省すべきだ。


●『グロウアップショウ』
 第10話。いきなり本格的なスポ根トーナメント大会編に突入してしまったが、これでいいのだろうか。ペアの川澄桜翔が、ここのところずっと「意見を合わせて素直に尽くしてくれる、都合良く理解あるパートナー」のままだったのも、いささか機械的でもどかしい。彼女自身の意志も出しているのだが、主人公を持ち上げてサポートする側面が目立ちすぎる。
 莫大な作画コストの掛かるサーカスシーンは割り切って止め絵連発でやり過ごし、その一方で日常会話の小気味良いテンポと柔らかなデリカシーへと注力しているのは、これはこれで正解の判断だろう。夕暮れ時のシーンも多いのに、それがむしろ底光りする力強さとして感じられるのは上手い。サーカス演技の表現は、へたな3Dに頼るよりはマシだが、しかし説明的で無難なレイアウトに終始していたのはもったいない。一枚絵としての魅力を打ち出せるような構図も出せたのでは……。
 今回も『オズの魔法使い』の本が小道具として置かれていた。とりわけOPで、黄色い道路や踵3回などをモティーフ的に示唆しているのだが、今のところ本作のストーリーとの関連性ははっきりしない。故郷から離れた主人公の放浪の物語ではあるけれど……。

 第11話。トーナメントの過程は思いきり省略しつつ、チキンラーメンCMという唐突な奇手で誤魔化しきっているという力技。決勝戦を前にした、じんわりとした不透明感と落ち着かない高揚感と切迫した焦燥感の混じり合った雰囲気が良い。台詞のやりとりも、リズミカルにタイミングを詰めていて、引き締まった気持ちよさがある。主演の野田氏も、特に前半パートでは気合いの乗った良い芝居をしている。ただし、後半(Bパート)の演出はやや落ちる。
 追記:チキンラーメンCMは、このアニメの中で作り直したのではなく、本家の映像をそのまま駄々流しているだけのようだ。それでいてあの長尺では、ギャグじゃなくてただの無策だったということになってしまう。本作と日清に対する評価が下がった。


●『さよならララ』
 第10話。様々なところで断絶や喪失が起きていく。絵コンテ/脚本のレベルでも、各シーンは飛び飛びの急展開に構成されており、劇伴もこの破綻寸前の状況を反映している(とりわけ車椅子で湖畔へ向かうシーンは、音響がズタズタに寸断されている)。
 ハスの花とヘリの回転翼をオーバーラップさせる演出の意図は不明。あまり関係は無さそうに思えるが、やけに思わせぶりな二重写しになっている。

 第11話。グレイスの過去とその真意を茉里に見せるが、それは同時に(おそらく第二の母親との)死別をも突きつけている。


●『天幕のジャードゥーガル』
 第11話は、トルイ死後の様々な整理。一方でボラクチンは、知識を得てそれを謀略に活用し、それに対して主人公ファーティマは、今のところは知識を利用される側としてもがきつつ、復讐心の燃料ばかりを集めているかのようだ。映像面では、いつも通り、空間性や陰影表現、そして時間帯の設定による視覚的ニュアンスなどを巧みに取り込んでいる。一見すると屋内での会話劇やモノローグばかりのようだが、実際にはカット数も動画枚数も多いようで、非常に充実している。
 次回(原作漫画25幕)で、私たちの復讐はこれからだと締め括るのかな。これだと、「奴隷ちゃん」が天幕の魔女ボラクチンに圧倒されるだけで終わってしまい、ファーティマの物語としては序章にすぎないようなものだけど、まあ仕方ない。
 6年前のボラクチンが、まるっきりインドア派趣味人として描かれているのが微笑ましい。外見的魅力には自信が無く、賑やかな場所も苦手で、自宅に籠もって調べものと実験に専心し、そしてそれをパートナー男性から賞賛されて舞い上がり、独力で彼の幸福のために陰から尽力する……うーん。

 第12話。主人公の行動は――あえて言うが――明らかに愚かであり、彼女自身の個人的な目的に反するような振舞いすらしてきた。彼女の奉じる「科学」観それ自体にも致命的な誤りがあることが、後世の我々の目に見えているだけでなく、13世紀当時ですら、その場で即座に相対化されてしまうほど脆弱なものだ。しかし彼女の言動は数奇な巡り合わせによって、いくつもの反-第一皇后派閥を作り出し、帝国の分裂の萌芽を生み出した(第一皇后の企図は、トルイ暗殺までは成功したものの、それ以降はソルコクタニの家族愛やドレゲネ一派の復讐心を取り込むことはできず、結局は失敗に終わった)。
 アニメオリジナルのエピローグでも示唆されるとおり、巨大で多元的な帝国の中に、モンゴル土着のシャーマニズム的世界観と、様々な被征服地の異教者たち(主人公が言及するクルアーン)が同居する状況から軋みが生まれることが、主人公個人の存在(ミクロレベル)と、主人公の故郷の接収(マクロレベル)の双方によって表現されている。そうした歴史の皮肉を、広大な草原とその深い闇夜のイメージとともに、このアニメ版は巧みに描き直している。


●『透明な夜に駆ける君と』
 第9話。前回に比べれば、ずいぶんましになった。難病の友人のために、ただの大学1回生に出来ることは、本当に限られている。その上で、せめて彼女を見守ろうとしたり、勇気づけるためにイベントの話を持ちかけたりするのは、まあ、明らかにぎこちなく、あまりにも拙劣な振舞いではあれど、フィクションの作劇としてはなんとか受け入れられる。
 とはいえ、シナリオが作為的にすぎる弊は散見される。医師が余命の見込みを含めた機微情報まで第三者に駄々漏らししてしまっているし(※せめて母親の口から言わせておけば良かったのに)、点字を少し判読するだけで半日掛けていたりするし(※わざわざ日差しの入射角度の高速変化まで描いているのはアニメ版固有の失敗だろう)、あの透明マスクは衛生上NGでしょとか(※マウスシールド。アニメで口パクをさせたいがための処置だと思うけど……)、病室の覗き見はさすがに擁護困難だし、なまじ映像化してしまったせいで状況のいびつさが露呈しているところもある(※明らかに苦しそうなのに放置したまま、横で子供たちの相手をしていたり……)。
 早見沙織氏の芝居は、さすが。最後の痛々しい台詞も、心に刺さる。

 第10話。お互いの信頼関係をなんとか再構築して、いくらか前向きに進み始めた。ただし、映像的には面白味に欠ける。ショートカットのヒロインは可愛いけど。


●『ふつつかな悪女』
 第9話。人を救うために駆けていく主人公、そして入れ替わった二人がついに対面(再会)して協力しあう展開と、ドラマティックな盛り上がりの回になっている。キャラクターの所作も細やかでなめらかに動いているし、劇伴の付け方も良い。ただし脚本や状況設定には粗もあるが、許容範囲内。
 そして莉莉は今回も、純真で誠実で微ツンデレで、そして主人公のために可能な限りを尽くそうとする子でした。

 第10話は大騒動。一方では、当事者不在のシーンで入れ替わりのことが明かされ、またその一方で、二人のもとに黒幕が押しかけてきて大暴れする。
 逃げ場のない状況に引っ張り込まれた慧月は、内心の屈折を吐露しつついまだに古典的ツンデレ素振りを手放さないという、いわば「弱った強気キャラ」というユニークなキャラクター路線を走っており、これはこれで最新モードのツンデレ造形として評価できる。ツンデレキャラというのは強がりを愛でるべきものだが、その強がりに明確な理由――ここでは病弱化やコンプレックス――を与えてみせたのは確かに上手いし、説得力がある。演じているのは、えーと、石見氏の方なのかな。病み上がりの体調を反映するように力なく震える声色ともたつく喋りは、その中に切羽詰まった真情を含ませていて聴きごたえがある。
 その一方で茅野氏の悪役芝居は、たしかに上手いけれど、逆上キャラのキレっぷりが85%を超えない冷静さの範囲内にとどまっていて、ちょっともったいない。そのぶん、醜悪にゆがむ表情の作画がそのエキセントリックな雰囲気を存分に表現しているので、必要なものはしっかり盛り込まれているのだけど。


●『BLACK TORCH』
 第9話。えっ、今から修行パートに入るの? しかも祖父キャラによる長台詞の説明もしつこい。とはいえ、バトルパートは上手く描けているし、頭身高めの異能バトルものという個性もある。主人公が力を制御して、もう一度敵組織と戦って黒猫と再会(救出)するくらいで完結だろうか?
 作品のデザインそれ自体は、面白いところもあるのだが……、今一つ掘り下げが足りないのが惜しまれる。例えば、異能バトルに現代的なメカ要素のフレーバーを入れているけれど、ストーリーとしてはあまり機能していないし、怪異存在と人類の対立構造にしても、味方側の過去の動機付けにしても、ありがちなものばかりだ。教科書的にクリアカットに整理して描かれているので、作者自身の能力は高いと思うのだが……。要するに、単体で見ても浅いのが問題で、ましてや異能バトルもののジャンルの中で見るとありきたりに見えてしまうだろう。もったいない。

 第10話は、白蛇の魔物たちとの修行、そしてラスボス側も動き出す。白蛇「吹雪」役は福原綾香氏。映像的には、今回も充実している。バトルシーンの力感、時間を止めた世界の演出、木漏れ日のエフェクト、色っぽい女性キャラの見せ方、グロテスクな凶行のおぞましい光景、そして静かな躊躇と後悔の時間まで、とても良く描けている。

2026/08/18

2026年8月の雑記

 2026年8月の雑記。

漫画雑話(2026年8月)

 2026年8月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

アニメ雑記(2026年8月)

 2026年8月の新作アニメ感想(※だいたい第5~8話あたり)。
 『キャラメリゼ』(現時点での評価は80点)、『クレバテスII』(70点)、『グロウアップショウ』(70点)、『さよならララ』(85点)、『ジャードゥーガル』(80点)、『透明な夜』(75点)、『BLACK TORCH』(70点)の7本を視聴継続している。『手札が多め』(70点)は第9話できれいに完結した。『ふつつかな悪女』(70点)は後追いで視聴開始。『ダンシング』は、演出(構成)が下手すぎるのでおしまい。『対あり』も、耐えがたい問題発言があるため、視聴を止めた。

2026/08/17

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第10話

 第10話「知恵」

 前話の続き(原作第19話の末尾)から、20-21話の全体と、第22話(4巻9頁まで)の最初までを描いている。時代はひきつづき1232年の秋。
 サブタイトルは、モンゴルの活動が軍事(武力)から統治(知恵)へと移行しつつあることを示唆し、また同時に、幼き主人公がムハンマドから受け取った「知識の価値」を思い出したことにも掛けている。
 脚本は佐藤寿昭(第3、6、8話も担当)。今回の絵コンテ&演出&レイアウトは、前場健次(本作では初参加。他作品では作画監督レベルの仕事も多数引き受けている)。そして「絵コンテ協力」として藤倉拓也もクレジットされている(第1-2話を担当)。大筋は原作漫画とほぼ同一だが、この回では台詞レベルでの状況説明の補充や、画面レイアウトの刷新による印象的な絵作りなど、アニメ翻案版ならではの創意が良く発揮されている。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第9話

第9話「天(テングリ)」

 前話の続きから、原作漫画の第18-19話をほぼそのまま描いている。時代はひきつづき1232年初頭から(※作中では明示されていないが、史実では同年10月にトルイが死去している)。
 サブタイトルは、天命を問う儀式――今回2度挙行されている――に掛けている。
 脚本は井上美緒(第4、7話も担当)。絵コンテ&演出は松永浩太郎(第6話の演出も担当)。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第8話

 第8話「大カトゥン ボラクチン」

 原作漫画の第15話の続き(3巻22頁)から17話の終わりまで。時代はひきつづき1230年から、翌1231年に金国侵攻が開始された頃まで。
 サブタイトルは、今回の実質的なメインキャラクターを指している。
 脚本は佐藤寿昭(担当話数はこれで3つ目)。絵コンテ&演出は村越麻海。本作の制作会社サイエンスSARUの社内クリエイターで、キャリアは比較的若いものの、いくつかの作品で作画監督も務めている。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第7話

 第7話「兄弟」

 原作漫画の第13話の途中(2巻131頁以下)から、第15話の途中(3巻22頁)まで。時代はひきつづき1229年から、翌1230年まで。
 サブタイトルは、今回描かれるチャガタイ-オゴタイ-トルイたちの状況をストレートに示唆している。
 脚本は井上美緒(第4話も担当した)。絵コンテは安部祐二郎とNicholas McKergowの連名。安部氏は第3話も担当している。McKergow氏は若手のアニメーターで、ネットにはオーストラリア出身との情報もある。演出も安部氏。
 

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第6話

 第6話「メルゲンの民」

 原作漫画の第11話から、第13話の途中(2巻133頁)までを描いている。時代設定は1229年だが、後述のように1204年頃の出来事を回顧している。
 サブタイトルは、メルキト族の異名(あるいは名前の由来)の「メルゲン(=弓の名手)の民」から取っている。
 脚本は佐藤寿昭(3話、8話も担当)。絵コンテは安藤雅司。複数のジブリ作品で作画監督を務めた実力派で、主に劇場アニメ制作で活躍しており、クール制TVアニメでの仕事はかなり珍しいようだ。しかしその力量は、この話数でもシャーマンの踊りで発揮されている。演出の松永浩太郎は、他の作品でも演出家としての仕事が中心のようだ。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第5話

 第5話「蛇のまだらは外側に 人のまだらは内側に」

 原作漫画の第9話と第10話を扱っている。時代は1229年のオゴタイ即位直後からの動きを扱っている。
 サブタイトルは、モンゴルの俚諺であるらしい。
 脚本はふたたび加藤還一。絵コンテは笹木信作。90年代ジブリでアニメーターを務め、その後多数の作品で絵コンテの仕事をしているようだ。演出の石郷岡範和は、2010年代から活躍中。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第4話

 第4話「炉の主(オッチギン)」

 原作漫画第7話の途中(1巻166頁)から、第8話の終わりまで(単行本第2巻)。1221年秋のモンゴル本拠地から、1229年の第二代皇帝即位までをカヴァーしている。
 サブタイトルはもちろん、当主となるべき末弟の地位のことだが、その「オッチギン」が即位しなかったという意外性にもつながっている。
 脚本は井上美緒(第7話も担当)。近年でも『不器用な先輩。』(2025)など、いくつかの作品でシリーズ構成を務めているクリエイターである。絵コンテ&演出は霜山朋久(第2話の作画監督も務めている)。90年代からのキャリアがあり、『SANDA』などの監督経験もある。

2026/08/16

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第3話

 第3話「消しえぬ炎」

 原作漫画の第5話の最初から、第7話の冒頭(1巻167頁)まで。1221年の春頃の連行途中から、同年秋にモンゴル本国に到着するまで。
 サブタイトルは、原作134頁の「こんな火で焼き消されるものか」という決意から取られている。
 脚本は佐藤寿昭(6話と8話も担当)。2010年代からのキャリアがあり、『貴族転生』(2025)ではシリーズ構成も務めている。絵コンテ&演出は安部祐二郎(第7話も担当)。『この素晴らしい世界に祝福を!』(第3期)などで監督経験もある。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第2話

 第2話「サファルに咲く薔薇」

 原作漫画の第2話の途中(1巻54頁あたり)から、第4話の終わりまで。1221年頃のモンゴル軍襲来から、モンゴル本国へ連行されていく過程を描く。
 サブタイトルは、原作第2話冒頭のエピソードから取っている。満開を迎えられずに、2月(サファル)に咲きかけたまま終わってしまったバラのイメージが、主人公たちの境遇に重ねられている。
 今回の脚本は、前回に引き続いて加藤還一。絵コンテは山田尚子総監督。演出は山田尚子と藤倉拓也(※藤倉氏も、第1話からの連続)。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第1話

 第1話「天にあるもの 地にあるもの」

 原作漫画には、各話タイトルは存在しない。このアニメ版第1話のサブタイトルは、原作で主人公が学んでいるクルアーン「天にあるもの 地にあるもの すべては アッラーに属す」(単行本1巻30頁、同36頁)から取られている。アニメ第1話(第1幕)の内容は、原作漫画の第1話から、第2話の途中(1巻60頁あたり)までを翻案している。作中の時代設定は西暦1213年から始まり、この話数の中では1221年のモンゴル襲来までを描く。
 今回の脚本は、シリーズ構成の加藤還一(敬称略、以下同様)。絵コンテ&演出はAbel Gongora監督、さらに演出補佐として藤倉拓也がクレジットされている。加藤氏は第2、5話も担当しており、藤倉氏は第2話でも演出担当している(山田総監督と連名)。


 【 はじめに:原作漫画のアニメ版の違いについての総評 】
 このアニメ版の特質について、あらかじめ概観しておく。漫画媒体とアニメ媒体の主要な違いは、レイアウト、色彩表現、音声/音響表現、時間表現(動画表現)、話数編成である。このアニメ版は、大筋では原作漫画の進行に即しつつ、それぞれの局面で創意豊かな掘り下げを試みている。
 レイアウトに関しては、漫画の小さなコマ絵とは対照的に、横幅の広い画面レイアウトを活かして草原の広大さを強調する絵作りが意識されている。縦のカメラワークを利用して、天の高さを表現する場合もある。原作のコマ絵に沿ったレイアウトもあるが、それを超えたアニメ版独自の視覚的再構築が丁寧に為されている。
 色彩表現についても、モノクロ原作は時間帯表現が明示されていないことが多いが(せいぜい昼と夜)、アニメ版では明るい蒼天から、燃えるような夕暮れ、暗い曇天、そして美しい星空や月齢表現などを盛り込んで、個々のシーンの意味づけを深めている。とりわけ太陽光の象徴的表現や、松明の不気味なゆらめき、そしてテント内の明暗のコントラストなども、アニメ版の色彩デザインは丁寧な仕事をしている。イランやモンゴルの民族衣装も、もちろんカラフルに着彩されている。背景作画についても、あえてムラのある着彩を取り入れつつ、キャラと背景の間で一体感のある(それでいてきちんとキャラが立っている)塗りを実現している。こうして画面全体に美的な統一感を作り出しているのも、特筆に値する。
 音声/音響に関しては、声優たちによる個々の台詞の解釈を論じればきりが無いが、主演関根氏の清らかな声色と復讐心の暗い内圧の間の異様なコントラストは現代アニメの中でもたいへんな聴きものである。アニメ版ではナレーションも、主人公役の関根氏が兼任しており、いわば回顧的なモノローグとしての性格も備えている。また、小清水氏の鮮烈な芝居も物語に深い説得力をもたらしている。劇伴についても、民族音楽風音階を利用しているかと思われる非-旋律的なBGMは、時には重々しく威圧的に、また時には軽やかに奏でられる。
 映像媒体ならではのタイミングコントロールや、会話の間(ま)の取り方、そして騎馬アニメーションの躍動感、松明の存在感なども、アニメ版表現の強みである。カメラワークそれ自体は、それほど大きく動かしているわけではないが、上述のように空間的なレイアウトの再構築を通じて、情景ごとの迫真性を作り出している。
 物語進行や台詞は、ほぼ原作のとおりである。ただし、ごくわずかに前後のシーンを入れ替えて整理したり、台詞のディテールをアレンジしたりといった比較的マイナーな変更は大量に存在する。追加シーンもあり、例えば冒頭で主人公がイランの街中を駆け回る長尺のシークエンスは彼女の生育した土地のリアリティを視聴者に印象づける。また、物語中盤の巫者ダイルの祈りは、アニメ版では山頂での踊りをたっぷり描き、中央アジアの精神文化を映像に定着させている。

2026/07/12

2026年7月の雑記

 2026年7月の雑記。

2026/07/11

漫画雑話(2026年7月)

 2026年7月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

2026/07/06

アニメ雑記(2026年7月)

 2026年7月の新作アニメ感想(※第4話あたりまで)。
 さしあたり『キャラメリゼ』(80点)、『クレバテスII』、『さよならララ』(80点)、『対あり』(70点)、『ジャードゥーガル』(85点)、『透明な夜』(65点)、『BLACK TORCH』(70点)、『ダンシング』(80点)の8本を視聴継続している。とりあえずおおまかに点数も付けてみる。60点台はひとまず合格、70点台は独自の個性があり、80点台は非常に充実した視聴覚表現とコンセプチュアルな特異性がある作品。
 『グロウアップショウ』と『手札が多め』は、精読はせずに流し見程度に付き合っていく。『岩元先輩』『捨てられ聖女』『ブチ切れ』『メビウス・ダスト』は、第1話のクオリティが期待に届かなかったので、残念ながら退却。