2025/08/09

2025年8月の雑記

 2025年8月の雑記。

 08/12(Tue)

 中国メーカーの模型について。破格の安さ+大ボリュームが特徴的だけど、何故だろうか。適当に想像してみる。(※あくまで適当です)

 1) 人件費。一つには、「人件費が桁違いに低い」という要素が世上で語られている。しかし模型キットは、労働集約型産業ではない。金型製造には少数のプロフェッショナルが必要だし、キット(ランナー)の射出成形もオートメーションの極致だ。もちろん工場稼動にも人員が必要だが、それほど大きな費用負担にはならないだろう。後は、「検品」「箱詰め」「輸送」などの作業で人手を要するが、それほど大きな割合を占めるものではないだろう。
 ただし、エラー品や欠品の多さを考えると、検品やクオリティコントロールの手間を削減して、コストを下げているという可能性はある。プラモデル以外の工業製品でも、中国製(つまり、日本から中国国内への委託製造)には同様の問題がしばしば生じている。
 また、エラー率の問題を別にしても、日本国内のキットとは品質面での格差はある。例えば関節部の安定感、組み立てやすさ、エッジの鋭さ、両目プリントの色数、等々。そうした点は、日本企業の製品にも独自の付加価値があると認めるべきだろう。
 ……とはいえ、中国キットの側でも、偏光メッキや金属製フレーム、色変えランナー、布製パーツ、LEDパーツ、さらには箱の豪華印刷など、内容を充実させるための技巧や作業がふんだんに投入されていて、一商品として驚嘆すべきクオリティがある。ほんとに、あれだけの内容物をいったいどうやって調達しているのだか……。

 2) 材料費。プラモデルのコストを上げている要因として、近年大きなのは材料費だ。資料や時期によって変動するが、中国は全世界のプラスチック生産の2割~3割程度を占めているようだ。中国は産油国でもあり、石油もかなりの程度まで国内調達できている筈だ。材料を輸入せずに自国調達できる(≒安価に入手できる)のは、プラモデル産業にとっても非常に大きなアドヴァンテージになる。

 3) 環境配慮。ここからは想像の度合いが強まるが、環境配慮のためのコストを負担していないのではないかという疑念もある。中国は、例えばCO2削減がいまだ立ち遅れており(※近年かなり改善されつつあるという話もあるが)、そういった工業生産に対する制約が乏しいことが、製品のローコスト化をもたらしている可能性がある。皮肉な話だが。
 例えば艦船模型用の金属製エッチングパーツも、国によって溶剤規制の問題があり、それが値上がりを引き起こしたり、製造困難になったりという噂を見たことがある(※明確なソースは辿れなかったが、十分あり得る話ではある)。

 4) 市場規模と販売戦略。日本メーカーのキャラクター系プラモデルは、基本的には日本の人口に対してしか売れない(プラス、欧米などの一部の市場にもリーチしているが)。それに対して中国メーカーは、14億人の市場をじかに利用できる。もちろん、一般消費者の経済力の問題などはあるが、薄利多売戦略を採用しやすいのは確かだろう。

 というわけで、近年のトイやガールプラモで、驚くほどの低価格とボリュームを両立させた製品が出てきているのは、一応理解できなくはない。ただし、各論レベルで依然としてさまざまな疑問はある。

 A) 日本メーカーが中国で製造させたのに高価格なのは?
 市場規模、検品コスト、取引費用、輸送費などで、ある程度は説明できる。童友社価格は納得できないけど。

 B) ただし、艦船やAFVでは、高額キットも多数存在する。
 これについては、品質や歴史的経緯が関わっていると推測される。例えばDragnon社(上海)やMeng Model社(広東省深圳)の大ボリューム&高品質なAFVキットは、日本円にして1万円以上になっている。TAMIYAのシンプルにまとまったキット(3000円台くらい)と比べれば、さすがに価格が上がるのは当然だろう。
 艦船模型分野でも、Trumpeter(広東省中山市)も高価格の大型キット路線に進んだし、その一方で3Dプリントパーツなども含めた超々精密キットも市場進出してきた(浙江省杭州市のFlyhawkなど)。これらもクオリティ確保のためのコストがかなり掛かっているものと思われる。なにしろ繊細なパーツは、射出成形の歩留まりも低くなるので。品質管理の必要から、大量生産にも限界があるだろう。
 それに対して日本国内のキットは、数十年にわたって国内市場でかなり低い価格帯を維持してきたので、値段を上げにくい(※それでも、どんどん上がってきたけど)。また、HASEGAWAなどは減価償却の済んだであろう金型を使い続けているので、その点でも製造費を抑えられる。
 スケールモデルの分野的特質もある。例えばガールプラモやロボットプラモであれば、土日のパチ組みだけで完成させることも多い。言い換えれば、どんどん新作キットを買って消化していける。それに対してスケールモデルは、大量の細密パーツを全塗装で組み上げていくため、一作につき1ヵ月~数ヶ月を掛けることも多い。デリケートなキットなので、保管のスペースも確保しなければいけない。そうすると、購入ペースはかなり鈍くならざるを得ない(※もちろん、サクサク制作していくモデラーもいるし、ひたすら買って積みまくるユーザーもいるが)。つまり、セールスが伸びにくく、市場規模も小さくなりがちで、それゆえ薄利多売戦略が取りにくい(※ロングテール型販売でなんとかやってきているが)。
 ちょっと不思議なことに、韓国のスケモメーカー(Academy社)が、非常に安価なキットを製造できている。材料費も人件費も掛かるだろうし、市場的な有利も無さそうなのに、頑張っているなあ。

 C) ガールプラモについて。
 実のところ、割引販売まで考慮すると、価格差はかなり縮まっていると言えるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAの大物キットでも、予約購入すれば2-3割引で買えることが多い(例えば8000円かそこら)。中国ガールキットを6000~7000円で通販購入するのと比べて、極端に差があるというわけではない。BANDAIのFigure-rise LABOの大型キットも、クオリティとボリュームを考えれば遜色ない水準だ。AOSHIMAのVFGシリーズも、定価は高いが、あれは割引前提の価格設定のように思える。
 ただし、日本のキットが、プレーンなガール一体とわずかな武器だけで5000円も6000円もするのは、価格差を痛感させられる。まあ、仕方ないので応援のつもりで、できるだけ買うようにしているが。
 ボリューム面で国内メーカーが劣るように感じるのは、実のところ、ボリュームそのものの問題ではなく、「気の利かなさ」に起因するところもあるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAキットでも、「このランナーをもう1枚同梱していてくれれば2体目も作れそうなのに」といったような、なんとも惜しい製品構成に遭遇することがある。気の利かなさで損をしているのは、実にもったいない。そして、このようなユーザビリティ配慮の次元で後塵を拝することこそは、模型メーカーのポテンシャルと将来性にとっては、きわめて危険な兆候だと思う。

 大雑把に想像するとこんな感じ。国によって物価(≒労働の価値)が大きく異なるのは、まあ、仕方ないというか、どうしようもないことだが、せめて搾取ではない形であってほしいとは思う。


 私がプラモ/ドールのスカートを自作するとしたら、どうするかなあ。
 適当なハンカチやユザワヤ布地あたりを、アイロンと洋服ノリで固めてプリーツの折り目を作っていくだろうか。なまじの既製品ドール服よりも、薄手で素材感の良いものを作れる筈……たぶん。
 既製品のプリーツ布地もいろいろある筈なので、そこから良さそうなものを見繕ってこられれば重畳。あるいは、自作でヒダをきれいに揃えたい場合は、金属定規などを治具にして幅を合わせていくことになる。ただし、素材によっては透けてしまうので、裏地かインナーを付けた方がよい。
 いずれにしても、1/10の小スケールだと、質感表現と扱いやすさの間のトレードオフが強烈なのがつらい。つまり、「生地を薄くて柔らかくて細やかにすると、加工しにくいし透けたり崩壊したりする。逆に、耐久性があって加工しやすい素材にすると、生地が分厚くて着膨れした感じになってしまう(1/12ドール服が典型)」。スカートだけなら、着膨れの問題は起きにくいので、わりとなんとでもなりそうだけど……。

 あるいは、既存の適当なフィギュアからスカートを奪って(ひどい)こられれば簡単なのだけど、ちょうど良いフィギュアは思い浮かばない。また、難点もあ.る。固定スカートなので可動には適さないのと、PVCなので塗装しにくいという点(※一応、塗料が乗りはするけれど)。

2025/08/08

漫画雑話(2025年8月)

 2025年8月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 ワタヌキヒロヤ『エイリアンズ』第1巻(小学館、1-11話)。現地調査のために地球に潜入してきた高度文明の異星人が、廃屋に住む若年女性型アンドロイドと同居する日常ドタバタ劇。どちらかと言えば、キャラクター造形の謎はアンドロイド(元セクサロイドで、所有者は逝去している)の側にウェイトが置かれており、それに対してエイリアン主人公は、彼女の不思議な性質と地球固有の文化の両方に振り回されていく。勢いのあるペンタッチと表情豊かなキャラクター性に大きな魅力があり、近未来SFらしいアイロニカルな描写もある。ただし、SF要素はほどほどで、基本的には同性同居日常もののコンテクストの中にあり、そして百合要素は今のところ誇大広告めいているが、まあ楽しいので良しとする。作者はバスケ漫画『つばめティップオフ!』(最初の連載作品)を終えたのち、現在は写真漫画『SUNNYシックスティーン』も並行連載中。
 ほしつ『ホイホ・ホイホイホ』第1巻(ムービーナーズ、1-7話)。超能力に目覚めた高校生の日常話。おっとりしたユーモア路線で、これはこれで好きな人も多いだろう。
 enem『さようなら、私たちに優しくなかった、すべての人々』第1巻(ガンガン、原作あり、1-5話)。オカルト能力を使って、田舎の権力的虐待者たちに復讐していく話。千里眼やサイコキネシスなどの超能力はあるがけっして万能ではなく、能力行使には反動もあり、さらに復讐儀式にも一定の制約(手順等)があって、なかなか思い通りにはいかず、全体として伝奇クライムサスペンスというユニークな路線になっていくように見受けられる。漫画表現はオーソドックスだが、歪んだ醜悪顔などのインパクトも相俟って強く印象に残る。作者はこれまで2本の長期連載をしてきた実力派。
 藍田鳴『放課後異世界ふたり旅』第1巻(講談社、原作あり、1-4話)。様々な異世界に飛んで、それぞれの転移勇者たちのトラブルを収めて回る物語。多数の異世界を駆け回る賑やかさ、転移した「勇者」たちがぶつかる困難の掘り下げ、女子学生コンビという萌えバディ路線、そして問題解決までに設定されたタイムリミット(※かなり作為的だが)と、ずいぶん詰め込んだ内容ながら、キャッチーにうまくまとまっている。ただし、基本的に一話完結(一世界ずつの解決)スタイルのようで、物語を図式的に進めすぎているようにも感じる。作画は2021年デビューで、これが3本目の連載とのこと。
 猪ノ谷言葉(いのや・ことば)『ソナタとはいったい誰なんだ』第1巻(秋田書店、1-5話)。魔王を倒したが記憶を失った少年英雄のところに、兄と称する魔族と妹と称する人間(姫)が訪れるが、少年自身は過去(記憶)よりも現在の世界体験を新鮮さを味わいたい……というシチュエーション。ハードな状況も描かれるが、主人公の純朴な朗らかさに救われる。近年ありがちな「魔王戦後もの」だが、その中でもオリジナリティがあるし、ドラマの構図も明快。絵作りは、とても真面目に描かれているが、同時にキャッチーな大見得シーンもきちんと作っている。作者は『ランウェイで笑って』(完結)に続く2つめの連載。


●カジュアル買いなど。
 墨佳遼『蝉法師』(単巻、イースト・プレス、2024年)。セミたちを擬人化しつつ、その鳴き声を念仏の読経として表現している。儚い生命の存在がパワフルに生きつつ己の目的を追求したり、人生の価値を思い悩んだりする描写は、読経シーンの迫力と相俟ってたいへん印象的。明暗の激しい夏の雰囲気も良い。
 コノシロしんこ『うしろの正面カムイさん』第11巻(小学館、100-109話)。様々な妖怪を性的に除霊していく一話完結型コメディ。ただし、えろネタというよりも馬鹿馬鹿しい艶笑譚に分類されるべきだろう。大量の小ネタをしれっと仕込みつつ、第11巻まで来てもオリジナリティと勢いを維持しているのは大したものだと思う。ちなみに、第100話ではちょうど百物語を扱っているし、飛頭蛮(※中国妖怪で、文字通り頭部が離脱して飛び回るジオング)に対するネタの広げ方が物凄い。既刊もいくつか読んでみようかな。
 kakao『辺境の薬師、都でSランク冒険者となる』第9巻(講談社、原作あり、70-77話)。「あのkakao氏か」と読んでみたら、やたら上手くなっていた。空間的なレイアウトの活用。木造建築などの質感表現の説得力。キャラクターのポージングの躍動感。そして巻末おまけ(えろ)のオリジナリティ溢れる発想。美少女ゲーム『はにかみクローバー』(2016)の頃から注目していて、アダルト単行本も買って読んだくらいだが(※たしか2冊持っている、しかし自宅倉庫から掘り出せない……)、ここまで凄味のあるクリエイターになっていたとは。ただし、本編ストーリーはあまり好みではない。


●続刊等。

 1) ファンタジー系
 宮木真人『魔女と傭兵』第6巻(38-46話)。相変わらず長所と短所が極端。コマ組みが機能的に作られておらず非常にだらしないし、メインヒロインの性格もおかしいし(※純朴な能天気さと威圧的な嫉妬深さが強引に混ぜられていて不気味)、精神的にグロかったり倫理的に引っかかりのある言動があったりもするが、その一方で、とても良い絵も出てくるし、サブヒロインたちもかなり個性が立っているし、理性的な交渉描写を読む快楽もある。45話からはイサナ君が再登場するが、今回もやはり「元気で強気だが結局は主人公にしてやられてへこまされる当て馬」の役割を担わされている。こういう描写が、微笑ましいコメディとして明るく処理されることもあれば、その逆に、女性キャラに対する陰惨で威圧的な蹂躙として表出される場面もあり、なんとも温度差が激しい。
 石沢庸介『転生したら第七王子~』第20巻(167-174話)。第二のボス「バミュー」との戦い。連載配信版のカラーから、単行本ではモノクロになっているが、それでも画面構成の迫力とストーリーテリングの掘り下げはさすが。
 近江のこ『もうやめて 回復しないで 賢者様!』第2巻(6-15話)。グロ注意。発想の切れ味も、キャラの可愛さも、演出の巧さも、現代漫画として非常に優れている。例えばワープゾーンを指先で開く所作や、心臓を舐めて生命力を奪うゴーストの描写、主人公の不死性設定の扱いなど、ファンタジー要素のアイデアだけでも感心させられる出来。本題のグロ(リ○ナ)要素も、自己斬首、水中窒息、スライム溶解と多彩だし、それぞれのプロセスや状況把握についても際立った掘り下げがある。なお、流血や骨折は多いが描写はほどほどで(?)、臓物までは描かないというマイルド(?)な程度に留めている。下記の『メイドインアビス』が大丈夫な読者ならば本作もいけるだろう。ところで、入力していて気づいたけど、このタイトルは五七五調だな……。
 中将慶次『カノンレディ』第2巻(7-12話)。良いところもあるが、見せどころの盛り上げが今一つで、前巻と比べてパワーダウン気味。
 恵広史『ゴールデンマン』第6巻(39-47話)。並行世界に飛んで状況全体をリセットしたこともあって、敵対関係が明確になり、敵方の重要情報も示され、さらに主人公自身についても大きな謎が提示された。ブルースは、驚き役&説明役を担って物語を引き締めつつ、ツッコミや細かなポージングの描写でユーモラスな彩りも与えており、なかなかの名脇役になっている。
 江戸屋ぽち『欠けた月のメルセデス』第5巻(17-20話)。アニメ化するとのことで、この漫画連載も継続保障が付いたのが嬉しい。ただし、作者の負担増は大変だろうとも思う。この巻は、王位継承を巡る陰謀に焦点を当てているが、クールに研ぎ澄まされた表情表現や、緊張感のあるコマ組み、バトルシーンのダイナミックな運動表現、奥行きのあるレイアウトの迫真性、そして内面描写の印象的な演出に至るまで、読み応えがある。
 フカヤマますく『エクソシストを堕とせない』第12巻(86-93話)。地獄側に乗り込んで出会ったルシファーは、「神に抵抗する朗らかで公明正大な善人男性」として描かれる。キャラクター造形のユニークさと、状況全体の不気味な見えづらさが面白くなってきた。
 つくしあきひと『メイドインアビス』第14巻(「兄とでも」「射手」「テパステ」)。グレートーンに塗り込めつつ、枠線も手書きでゆるゆると描く紙面の濃密な雰囲気が楽しい。渓谷の巨大感などの空間表現も良い。

 2) 現代もの、シリアス系
 うすくらふみ『絶滅動物物語』第3巻(通し番号は無いが、マンモスからトキまで)。生物の絶滅が、いかにして人類社会――社会の動きや個人の欲望や政治的な都合――で引き起こされてきたかが、冷静な筆致で描かれる。例えばナチスの復古主義の下で原始的なウシを復活させようとする試みが、ユダヤ人迫害と対比されたり、南アフリカのシマウマとクアッガ(前半分だけが縞模様)の違いを否定しつつ、それが同時に奴隷制度に対する無頓着さと共存している有様が描かれたりする。さらには、第二次大戦中にウェーク島の日本人兵士たちが飢餓でクイナを食べ尽くしたエピソードや、寄生虫撲滅のためにミヤイリガイ(それら自身には罪はない)を人為的に絶滅させたエピソードも語られる。皮肉な話もある。19世紀の中国侵略の過程でフランスがシフゾウ(鹿の一種)を本国に持ち帰ったおかげで、それらは絶滅を免れていたり、あるいは、博物学者たちの新種イワサザイの命名争いをしている最中に、まさに彼等が持ち込んだネコに狩り尽くされてその鳥が絶滅していたり。こういったエピソードの切り出し方も抜群に上手いし、漫画演出も明晰で説得力がある。
 三島芳治『児玉まりあ文学集成』第4巻(21-27話)。言葉と世界認識をめぐる、高校生二人の会話劇。筆触感を最大限強調したタッチともども、ライトに読めて楽しい。
 川田大智『半人前の恋人』第6巻(42-50話)。彼の誕生日に二人が結ばれ、その一方で彼女も大学祭で飛び入り活躍したり彼の女友達に嫉妬したりするという、かなりドラマティックな巻。作画については、相変わらず眼鏡のレンズ屈折(度入りの輪郭段差)まで丁寧に描いている。
 ひるのつき子『133cmの景色』第4巻(16-21話)。再び主人公に焦点を当てて、コラボ企画での仕事ぶりや自立意識、そして恋愛と周囲の人間関係の難しさについて誠実に描いていく。ステレオタイプな偏見に抵抗して自らのアイデンティティと尊厳を保っていこうとする姿勢について、他者視点も交えつつ正面から取り組んでいる。作画については、主人公のロングヘアの柔らかいウェーブが抜群に美しい。「このストーリーとコンセプトの下で、こんなに可愛らしく美しいキャラとして堂々と描いてしまっていいのだろうか?」という疑念すら湧き上がってくるほどに。一応の説明としては、「外見の都合良さによって人格全体を判断することの問題は、まさに本作が主題化しているとおりなのだが、この主人公の描写は、現実の個人に対するものではなく、ひとまず物語の記号的表現のレベルで、この主人公の健やかさ、善良さ、繊細さを表現しようとしている。それは似ているようでいて、やはり次元の異なる問題だ」ということになるだろう。
 雁木万里『妹は知っている』第3巻(18-27話)。小ネタ集で引っ張るのは一区切りつけて、この巻では人間関係に焦点を当てている。すなわち、同僚や友人、兄妹の過去回想、離婚した両親など。ユーモア精神を常に保ったマイルドな日常ものとして、上手く軌道に乗ってきた感じ。
 林守大『Bの星線』第2&3巻(8-13/14-20話、同時刊行で完結)。第1巻は素晴らしい出来だったが、2巻以降は「これを描くんだ」という輝きが失われ、無難にまとまってしまったのがもったいない。それぞれの巻末に再録されている読み切り作品は、人の悲劇的な情念を濃密に描いており、これだけでも読む価値がある。

2025/08/06

アニメ雑話(2025年8月)

 2025年8月の新作アニメ感想。『鬼人幻燈抄』『クレバテス』『第七王子』の3作に絞られた。

●『鬼人幻燈抄』
 通算16話は文久3年(1863年)、天邪鬼の話。のびやかに広がる山々の風景も、夕暮れの河畔風景も、抜群に美しい。怪異の幻想譚としても、苦く優しい味わいがある。キャラクターの細やかな所作アニメーションも、地に足の付いた作品風景に確かな実在感の手応えを与えてくれる(※例えば急須でお茶を混ぜる動き)。冒頭の蕎麦打ちシーンのミスリーディングも、微笑ましく気の利いたコンテで面白味を生んでいる。絵コンテ&演出は、河田凌氏。
 茅野愛衣ヴォイスで「じんやくん」「じんやくん」と何度も呼びかけられるとは、羨ましい……。
 ところで蕎麦屋の店主さん、ちょっと老けてやつれた?

 第17話は、やや長めの25分。元治元年(1864年)で、剣を極めようとする中で鬼に変化してしまった男の物語。剣戟シーンは、この作品にしては頑張っているが、日常シーンでは表情作画が崩れ気味。時代劇アニメらしく外連味のあるコンテが、映像的な緊張感を構築している。
 ストーリー面では、畠山の真意など、やや歯切れの悪い後味を引き摺っているし、甚夜の躊躇いもあまりきれいには描かれていない。しかし、鬼の存在を巡るエピソードの一つとして見れば、苦みと深みのある話になっていると思う。



●『クレバテス』
 第5話。もうすぐ折り返しなのだが、このスローペースで大丈夫なのだろうか。内容面では、劇伴がなかなか個性的だし、コンテもところどころ非常に面白い(※長い静止カットもあるが、キャラクターの出入りのカメラワークが楽しげでよろしい)。主人公も、善良で純朴で苦労人なところを上手く描いていて、愛嬌がある。
 ストーリー面では、かなり散らかっている。「魔獣と人類(人属)の対立構図」、「魔獣の間でも駆け引きがある」、「人類を滅ぼそうとするクレバテス」、「人類の間でもいくつもの国家に分かれて対立している」、「亡国の赤子の成り行き」、「育児コメディ(?)」、「人類が開発した魔術の謎」、「ゾンビ勇者とその復讐心」、等々。なんとなく関連があるようでいて、しかし現時点ではぼんやりした繋がりに留まっている。

 第6話。クレン役の田村氏は、確かに適役。真面目で冷静なようでいて、朴訥なようでいて、ちょっと不機嫌なようでいて、そして感情の底が掴めない不思議な異種族キャラを上手くドライヴしている。主人公のアリシアは今回も、「慌てツッコミキャラ」、「大地を踏みしめて歩くキャラ」、「自身と周囲の境遇に苦しむキャラ」の側面が濃密に描かれている。
 演出と作画は、この回も非常に良く出来ている。背景作画が、色鉛筆のような手書き感を強調しているのが面白い。色合いが明るく、そして木材の質感を巧みに反映しているし、山々の遠景も童話めいたのどかさを連想させる。相変わらず説明台詞が多めながら、コンテレベルで画面構成の迫力とアニメーションの躍動感を表出していて、充実した映像になっている。
 ストーリー面では、穏やかな農村風景からいきなり最悪のピンチ状況に。このノリはなんとも岩原氏らしい。そして最後に黒澤ともよ氏の魔術師キャラが登場。



●『転生したら第七王子』
 通算第16話。シビル・ウォー戦の決着から、謎神父戦の途中まで。
 前半の戦いは、静止画にエフェクトで誤魔化しているばかりで、画面がだれることこの上ない。そういったタイミングの都合で、今回も出血がやけに長時間噴出し続けたりする(ひどい)。マントの青海波模様も、立体性も運動を無視してべったり貼り付けてあるだけという有様。音響表現も最低で、ひたすら説明台詞を垂れ流してそのまま画面を止めるし、さらに台詞の変化を無視してBGMを流しっぱなしにしている。モノローグだけでなく、戦闘中に長大な回想を入れるのも緊張感を削ぐこと甚だしい。擬音文字をそのまま書き込むのも漫画の猿真似で、アニメでやるとひたすらチープになる。演出と呼ぶのもおこがましいほどの、失敗映像の見本市になっているのが悲しい。作画そのものは頑張っているだけに、とにかく監督(コンテ)が悪い。原作(というか漫画版)は抜群に凄いので、まともな演出で丁寧に再解釈して映像化していたら、本当に素晴らしいものになり得たのだが……つくづく惜しい。
 ただし、後半の謎神父戦だけはダイナミックなカメラワークを取り入れている。また、イーシャ(シスター)の振り付けは、今回も力が入っている。
 ところで、OPには完全食くんらしきカットがある。あれもアニメ版に登場するのか……。

 第17話。地下実験室に立ち入るところまで。
 相変わらず、イーシャ周りの演出は力が入っており、黒ベタに囲まれながら雨の市街を掛けていくところは印象的。その他、視覚表現としては、林立するアンホーリー・エクスカリバーの迫力や、地下実験室の禍々しい雰囲気には、カラーアニメならではの美質がある。ただし、イーシャ役(石見氏)の芝居は切実さが足りず、なんとも物足りない。
 教皇付きのアナスタシアは日笠氏。教皇自身は、宮本氏ではなく牛山氏が演じている。

2025/08/05

薬師寺久遠(篝火真里亞)から比良坂初音へ

 プラモデル創彩少女庭園「薬師寺久遠(篝火真里亞)」を使って、ゲーム『アトラク=ナクア』の比良坂初音(姉様)を再現してみる。
 ※注意:蜘蛛型キャラクターの写真です。蜘蛛や節足動物が苦手な人は気をつけて下さい。

2025/07/27

「創彩少女庭園」シリーズの製品リスト

 ガールプラモ「創彩少女庭園」シリーズの製品リスト。
 公式サイトの一覧性が弱いので、私なりに情報整理してみる。

2025/07/07

2025年7月の雑記

 2025年7月の雑記。

リツカヘッドなんかに負けない! → リツカヘッドの汎用性には勝てなかったよ……。どうしてこのヘッドは、こんなに強いのか……(写真左下)。
 しかし、「ウルフさん」デフォルトも良いバランスだし(右向きの柔らかめの表情がとても良い)、写真右上のルピナスもなかなか似合っているし、もう一つの便利ヘッド、右下の「ブレイブガール(ガオガイガー)」も2019年のキットなのにさすがのクオリティ。
 ちなみに、開いた両足で大地を踏みしめる仁王立ちが大好きなので、しばしばこういうポーズで展示している。カトキ立ちとか言わない。

2025/07/05

漫画雑話(2025年7月)

 2025年7月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 試しに今月からは、収録話数も記録しておくことにする。

2025/07/04

アニメ雑話(2025年7月)

 2025年7月の新作アニメ感想。
 『転生したら第七王子』『nine』『鬼人幻燈抄(2期)』はほぼ確定。その他、『クレバテス』『雨と君と』『陰陽廻天』『ホテル・インヒューマンズ』『傷だらけ聖女』あたりを視聴していくかも。

2025/06/30

ガールプラモ(美少女プラモデル)の年表的メモ(2)

 ガールプラモ(美少女プラモデル)界隈の発売年表っぽい私的なメモ(2026年~)。
 2006~2025年の20年間については、別掲ページにて。凡例などもそちらを参照のこと。

※文章での通史的概観は、連載記事「現代ガールプラモの歴史的展望」を参照。
※各シリーズの品質評価などは、別ページ「ガールプラモ年表の補足資料」にて。
※海外メーカーの一覧は、別ページ「海外のガールプラモ一覧(メモ)」にまとめた。

発売月製品(※主に15cm級[1/10~1/12相当]の可動全身プラモデルを取り上げる)関連事項(※隣接分野の製品や出来事。アクションフィギュアなど)
2026/01PLAMATEA「キューティーハニー」(原作のメディアミックスコンテンツは1973年開始。このキットのデザインは2025年開始の新版に準拠している。全高約17cmとのこと)
PLAMATEA「ミューズボディ・いちか」(簡素な素体キット。3色同時発売とのこと)
GODZ ORDER(GO)「オーバーロード・ガブリエル」(スタンダードVer.とDXメッキVer.を同時発売)
メタモルバース(MV:TAKARATOMY)「斬山碧 & ブレードライガー」(1/10スケール。元となるコンテンツZOIDsシリーズは1982年開始)
FAG「ウィルバーナイン(ベリルアーマーカスタム)」
メタモルバース(タカラトミー)「斬山碧 & ブレードライガー」(1/10スケールとのこと。ゾイドシリーズは1982年開始)
創彩「一条 星羅(水着/ヘアアレンジ)」
MD「朱羅:忍者(枢、影衣、フルパッケージ)」
x
2026/02PLAMATEA「VALKYRIE TUNE:リサ=キャスター」(17cmとのこと)
PLAMATEA「VALKYRIE TUNE:アイリス=ブルックナー」(17cmとのこと)
GALHolic(AMANKUNI)「七星(ナナホ)」(1/10スケールで約17cmとのこと。販路限定?)
x
2026/03xx
2026/04PLAMATEA「鴇羽舞衣」(原作アニメは2004年放映)x
2026/05xx
2026/06PLAMAX「ソフィア・F・シャーリング(ナイトカラーVer.)」x
2026/07xx
2026/08xx
2026/09xx
2026/10xx
2026/11xx
2026/12xx


x

2025/06/07

2025年6月の雑記

 2025年6月の雑記。

 06/29(Sun)

 買った書籍類は、定期的に整理(デフラグ)していきたいが、一度積んでしまうとなかなか動かせない。特に連載漫画は、シリーズごとに並べておきたいのだが……。
 一応の対処として、特別に大事にしているシリーズは別枠で積んでいるので、比較的取り出しやすい。それでも積んでいることに変わりはないが。
 プラモデルも、一度完成させてしばらく鑑賞したら、箱やケースに収納して積んでしまう場合もある。そうすると実物を取り出せず、もはや写真で眺めるしかないという哀れな事態に陥ることもある。


宝多六花
宝多立花
宝田六花
宝田立花
寶多陸華
さあ。本物はどれだ? ……と、私自身がいつも迷うし、しばしば誤字をしでかしている。正解は「宝多六花」。


 ふう……ガールプラモの20年史の記事(2006~2025年分)がようやく一区切りついた。
 そして2026年発売キットの情報が出てきているので新規ページに切り替えることにした。

 そもそも、プラモデルの正確な発売発売時期はネットから消えていきやすい。書籍のような正式な「発売日」が存在しないというのもある。また、公式サイトや通販サイトでも、再生産の度に発売月情報が更新されてしまうので、元々の発売日が追えなくなる。さらに、ひとしきり売り終わったコンテンツは公式サイトそのものも削除されていく。
 なので誰かが、ある程度信頼できる情報をまとまった形で――そしてマイナーなものも含めて――残していかなければ、過去が散逸消滅してしまうし、悪くすると非常に偏った偽史が出現してしまう虞もある(※偽史やフカシに対する反駁の材料が持てなくなる)。その意味で、この分野に関わる一趣味人として、客観性のあるデータベース(というほど大したものではないが)を作っておきたかった。
 しかし、独力で続けるのもそろそろ面倒になってきたし、私自身がいつまでも続けていけるかも分からないので、このデータを誰かが引き取って多人数で(wiki形式などで)更新していってくれたらありがたいのだけど……。
 とはいえ、当該ページのアクセス統計を見てみたら、半年でわずか25閲覧というお寒い状況だった。うーん、現代のオタクたちは歴史に興味が無いのかなあ。つまり、過去のマスターピースを探したり、歴史的-技術的経緯について自分なりの展望と見識を確立させたり、最新キットが出てくるまでのダイナミズムや市場的な広がりを捉えようとしたり、シリーズを買い揃えたりといった知的活動をしないのだろうか? もったいないなあ……。

 このような、いわゆる「オタク第二世代」風のスタンス(≒アカデミックなスタンス)そのものがいよいよ少数派になっているというのは確かだ。「客観性のある情報を、秘匿せずに公開し合って、お互いに公平かつ生産的な議論をして、理解を深めていく」という知的姿勢には、現代でも大きな意義がある筈だが、それがかれら「現代オタク」たちの間で失われていくのはたいへん悲しい。

 こういう悪癖はスケールモデル界隈にも見られる。第一世代的な秘密主義――良く言えば個人主義的な求道の文化――がずっと続いていて、とにかくまとまった情報がろくに存在しない。特に艦船模型分野などでは、2010年代以降のムック本によって基礎知識レベルの情報が多少補われてきたが、それでも知的な体系化には程遠い。
 ロボットプラモは、人口規模の大きさもあってそこそこの情報が見出されるのだが、それも近年の動画化傾向の中で、検索性や一覧性が完全に死んでしまった(※まあ、プラモ実物を見せるのに動画媒体が非常に強力なのは分かるのだが……)。

 つくづくErogamescapeは偉大よね……という話でもある。

このbloggerのアクセス統計より。


 「はてな」ブログは、個人的に水が合わなかったのですよね……。持続性のあるオンラインサーヴィスとしての信頼性は高いので(しかも日本国内向け)、一般的な見方では確かに有望だと思いますが、レイアウトの貧しさが……UIの融通の利かなさが……リンクシステムの微妙さが……そして「ダイアリー」時代以来のユーザー文化のクドみが……うぐぅ。


 将魂姫のメーカーが、よく分からないことになっていた。これまでは「机甲猪動漫設計」有限公司だったのだが、今回の「animacircuit : Vio the Rabbit」を出した「卓匠文化发展」有限公司のweiboアカウントも将魂姫を自社コンテンツのように紹介しているようで、何が何だか……中国語はろくに読めないし、おかしなサイトを踏むのも怖いので検索して調べるのも気が進まない。「海外ガールプラモ」記事ではひとまず一体の存在として記載したが、よく分からぬ……。近所のイエサブに並んでいたから(※今日は買わなかった)、買って確かめてみようかな。


 そろそろ1/12ドール服を買ってきたい……。幸いにも近所のJoshinがazoneドール関連の商品をいろいろ置いていてくれるのでそこそこのものはすぐに買えるのだが、もう一度ポンパ(日本橋)のAzone実店舗にも行っておきたい。コロナ以降、ポンバにはずっとご無沙汰のままなのが悔しい。
 金属エッチング製の眼鏡は、以前は2個セットが800円程度だったのだけど、在庫切れだったり、在庫復活したかと思えば1200円くらい(※曖昧な記憶)に値上げしていたりして、なかなか追加調達できずにいる。
 ドール店といえばVOLKS(天使のすみか)もあるのだけど、あそこは60cm前後の大型ドールばかりで、残念ながら1/12対応の商品はほとんど置いていない。


一口に「SF」といっても様々な捉え方があるので、まずはおおまかに分類していく方が生産的な議論になると思う。例えば、
 1) 形式的定義:(自然)科学的に突き詰められた思考を作劇に反映させた作品。この見方では、SFとはジャンルではなく、個々の作品に含まれる性質、要素、度合いの問題になる。そしてこの観点では、現代的創作におけるSFの浸透と拡散を肯定的に認めることになるだろう。
 2) 慣習的定義:SF的とされるガジェットを用いている作品、またはSFジャンルとして受け入れられてきた作品。やや循環論法めいた説明だが、実態としてのジャンル分類やアイデンティティ認識に関わるものであり、作品受容のあり方もまた重要な要因だ。しかしループや未来世界や宇宙人が出てきたら即SFだとするのはいささかイージーにも思えるし、そういう外的な認識としては「SFは陳腐化した」、「SFは現実のテクノロジー発展を超えられていない」、「(浸透と拡散の帰結として、)ジャンルとしてのSFにはあまり意味が無くなってきた」といった批判に服することになるかもしれない。
 3) 積極的定義:知的な思考実験を通じて、科学フィクションならではの世界を描いている作品。旧来的なSFファンたちが俗にセンス・オブ・ワンダーと呼んできたのは、こういう美質のことだと思う。これまた、現代ではSFならではの強みを打ち出すのはいよいよ難しくなってきたという現実認識に結びつきがちだろう。

 私個人としては、前世紀以来の国内外のSF小説が育んできた実験性と想像力には大きな魅力を見出してきたが、「SFであること(SFであるかどうか)」、「SFという看板を維持すること」には興味が無い。大事なのはジャンルの看板ではなく、あくまで個別作品の中にどのような深みを見出せるかだからだ。
 換言すれば、SFという看板が重要なのはむしろ、「科学的な視点をフィクションの中で重視しようとする知的姿勢」、「科学ベースの思考実験を高く評価するユニヴァーサルな知的コミュニティ」、「サイファイ的な側面を掘り下げることのできる知的な道具立てとそれを使える読者層」といった現実的動態を維持することに存する。そしてその意味で、私はSFファンであり続けたいと思っているし、漫画やアニメでもSF的なフックのある作品をできるだけ大事にしていきたい(=買っていきたい)。


 「もう一年の半分が過ぎたよ!」というのは、イージーな手段で多くの人にショックを与えるであろう話を、明確に意識していながら喜々として投稿としている訳で、要するに「いじめっこ」「いやがらせ」「他者加害の喜び」の発想そのものなんだよね……。私はそういう種類の人間にはなりたくない。


 創彩「ウルフさん」は、結局買っていない。技術的にもコンセプト的にも新機軸が見えないので、買う意義を見出しにくかった。キャラとしてはわりと好みなだけに惜しい。
 ただし、創彩シリーズの中で見れば、新奇性はあると言える。すなわち、既存の顕名キャラではなく、無名キャラを出して作中世界の自由度を広げたこと。また、野性味のあるキャラクターは初めてだったというのもある(※これまではインドア系キャラに大きく偏っていた)。武器を持てそうなキャラというのも、これまでのコラボ路線からして順当な展開だろう。とはいえやはり、いずれも内向きのアイデアであって、商品それ自体の、その単体としてのオリジナリティや訴求力を掴めていたかというと……つくづく惜しい。
 気が向いたらポロッと買っているかもしれないけどね。


 今年1月に開催された「関西キャラ模型の会」が、来年1月に次回開催する予定とのこと。せっかくだから、時間を取って参加したい。
 何かしら「他人がやっていない試み」(他のモデラーにとって参考になる可能性のある作品)を出したいところだが、ガール系で出せそうな自作は、時雨改三(スケモディテール)、STAPEL(作例稀少)、ユクモ(毛筋塗装)、MDタンク(装甲内側の塗り分け)あたりかな。Galahadやブリジットは、そういう技術的orコンセプト的な独自性が無いので、出しても意味が無い。「自然選択号」や「オプティマス・プライム」なども、作例稀少という観点で展示に出す意味はあるだろうか。
 年内の模型イベントだと、関西AFVの会(9/28、第39回)や、ガールオンリーの学生展示会(8/9)、航空機中心の「翔バナイカイ」月例コンヴェンションもある。大阪や京都まで行けばさらにいくつも挙行されているが、梅田まで鉄道でわずか40分とはいえ遠出は極力控えたいので……(※11月のおおさかホビーフェス、8月11日の関西学生模型展示会などがある)。


Q: 買おうかどうか迷っているときは、どうしたらいい?
A : とりあえず買っておけば、その悩みは消滅するでしょう。(……え?)

 もっとも、いつ作(れ)るかは分からないけど。
私としては珍しく、特典アクスタのために2冊目を買った。普段は特典にはまったく興味が無いのだけど、今回は「ああ、なんか、このキャラ、良いな!」という気持ちに後押しされてアクスタに手が伸びた。

 わぁい異形グロ多脚ロボ あかり異形グロ多脚ロボ大好き
 (※フィクションのキャラにおかしなことを言わせるな)

 「ウルフさん」のパッケージアートも、ちゃんと森倉氏なのか。頭髪のキラキラが乏しいし、珍しくツリ目だし、睫毛が目立たないしで、一見すると森倉氏らしからぬイラストなのだけど、手のポージングに濃厚な表情が漂っていたり後頭部がみっしりと重そうだったりするのはやはり森倉氏らしさがある。というか、このイラストレーターさんはこういう路線のキャラも描けるのか。
 立体物としては、「オリーブグリーンのプリーツスカート(しかも丈は短め)」というのが、ファッションとしてはかなり扱いづらそうなのだけど、うーん、いったいこれはどうしたものかなあ。ビリジアンの彩度を落としたスレートグリーンあたりにするか、あるいはオリーブグリーンの明度を上げてリーフグリーンに寄せるか、はたまた多色塗装でチェック柄にするか……。


 上記漫画とともに、今月は『けものみかん』(新作)もタヌキ漫画だったし、アニメ分野でも『アポカリプスホテル』がタヌキキャラ満載だったし、7月からの『雨と君と』もタヌキキャラがいるし、プラモデルでも30MSルルチェは明らかにタヌキ耳だし、ユクモも(誤って)タヌキ扱いされがちだし……なんだか最近タヌキづいているのは気のせいだろうか、それとも偶然だろうか、あるいはなんとなくブームになりつつあったりするのだろうか。
 00年代には狐キャラ(狐巫女とか)が大人気で、タヌキキャラはほぼイロモノ扱いだったものだが、時代は変わるものだなあ……。(たぬきマリオとかもあったけど)


 この夏アニメは、個人的にハズレになりそう……。オリジナルアニメは多いのだが、どれも空転の気配が強いし、それ以外もキャスティングに大きな不満があったり、アニメ翻案する意義が見出せなかったりして、心惹かれるような輝きが見えてこない。
 田村氏(ゆかり氏ではない方)が、出演数は増えているのだが、最近はどうも芝居が大人しく縮こまっているのがもったいない。『キルミー』の頃はもっと力強く生き生きした演技をされていたのだが。うーん……。
 第1話ののっけから粗暴なモブヤンキーたちに襲われる描写は、もううんざりだよ~。一番大切な「掴み」のところでしよーもない絵を見せるというのは、それだけでプロット設計が鈍感だということなので、どんな期待作でも即座に切りたくなる。

2025/06/06

漫画雑話(2025年6月)

2025年6月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

2025/06/01

アニメ雑話(2025年6月)

 2025年6月の新作アニメ感想:『アポカリプスホテル』、『ある魔女が死ぬまで』、『鬼人幻燈抄』(1期)、『九龍ジェネリックロマンス』、『小市民シリーズ』(2期)、『LAZARUS』。


●総評。羊宮妃那ヴォイスを堪能した3ヵ月だった。

 『アポカリプスホテル』は、自由でユーモラスな発想と、SF的なディテールの取り合わせがたいへん楽しかった。人類文明をただの痕跡として残して、異星人+ロボットたちの不思議な生活空間を「ホテル」という場で表現しきったコンセプトも秀逸だし、竹本泉デザインの牧歌的な絵柄と瑞々しい廃墟風景の取り合わせも印象的。
 ただし、基本的にはエンタメ作品であって、思考実験の深さを売りにするスタイルではなかった。主演の白砂沙帆氏も、ロボットキャラの絶妙なクールさと天然ぶりを上手く掬い取って演じていた。75点(※好みによっては85点まで付けてもよいだろう)。

 『ある魔女が死ぬまで』は、全体に中の上~上の下レベルのエピソードを堅実につないでいった。とりわけ第5話や第11話といったクライマックスの回では、主演青山吉能氏の力演もあって華やかで幸せに満ちたカタルシスを形作っている。それ以外もキャスト陣は非常に贅沢な顔触れだし、美談エピソードも主人公の口の悪さと正直さのおかげで偽善的な嫌味に陥らずに済んだ。このアニメ版では、死のカウントダウン問題については希望のある形で先送りにしたが、これはこれで良い判断だったと思う。75点。

 『鬼人幻燈抄』(1期)は、江戸後期の風景と文物がたいへん美しい。キャラクターたちの衣装や時代がかった所作も丁寧に描写されている。ただし、ストーリーの本筋については、「ラスボスが最後にしか出てこず消化不良(※2期以降に委ねたのだろう)」、「鬼を討伐するのもあまり前景化されない」、「バトルシーンのアニメーションがぎこちない」といった歯切れの悪さもあった。しかし、戦闘描写を捨てて静かな雰囲気を重視したのは一つの見識だと言えるし、「幸福の庭」(第5-6話)のようにミステリアスで情趣のあるエピソードもあり、時代ものと幻想性を取り合わせたユニークな個性がある。キャスティングについては今一つなところもあったが(鈴音や奈津など)、瑕疵とするほどではない。75点。

 『九龍ジェネリックロマンス』は、これまた虚実定かならぬ幻想的な状況をじわじわと描いていった。作画は程々の出来だが、背景美術として描かれる九龍城塞の存在感は絶大だし、長大なCパートによる引きの演出も効果的だった。脚本構成があえて見通しや節目を作らずに腰を据えて人間関係を小出しにしていったのも、本作の方向性に鑑みて正解だろう(※ただし、そこに不満を持つ視聴者もいただろう)。劇伴も、くっきりした中華趣味の一方で、浮遊感のある空虚さをも滲ませて趣深い。
 九龍~虚像の街~ノスタルジー~クローン~チャイナ服~ロマンス(同性愛を含む)といった要素を詰め込みつつ全体としてまとまりのある作品像を作り上げたのは、多分に原作のおかげだが、アニメ版もその趣向を堅実に反映させていた。75点。

 『小市民シリーズ』(2期)は、ミステリというよりはサスペンスと言うべきストーリーだが、神戸守監督の下でしっとりと強く印象に残る画面作りをしてくれた。山々を臨む青空風景、郊外の畑の広がる冬の景色、そして暗い校舎内の陰影、遊具に遮られた公園内でのやりとり、そして病院屋上から見える岐阜市内の夜景、等々。声優陣では、羊宮氏と古川慎氏が出色の出来。75点。

 『LAZARUS』は、期待外れ。たしかにアクションシーンは見事なアニメーションだし、イスタンブールから南洋の島々までの風景は温度や湿度まで感じさせるほどのクオリティだが、ストーリー面のバランスの悪さ、状況設定の作為性、台詞回しの陳腐さ、そして「米国文明/貧しい他国」というオリエンタリズムの色濃い気配が最後まで解消されなかった。作画評価のみで65点。

 全5話構成の『未ル』も、近未来テクノロジーSFとして期待していたのだが、各回が散漫に並べられるだけで終わってしまった。もったいない。

 ちなみに、前の2024年度冬クールだと『全修』80点、『ソロ討伐』60点、『通販』70点。
 秋クールは『アングラー』(85点)の一本だけだった。
 夏クールは『義妹』75点、『小市民』(1期)が75点、『負け』が85点。
 2024年春は、『第七王子』(60点)の一作だけ。
 基本的に、作品チョイスは「キャスト重視+オリジナル作品優先」で、作品評価は「コンセプト設計+視聴覚演出+独自性」を重視している。



●『アポカリプスホテル』

 第9話は結婚&葬儀披露宴を、OP短縮で描ききった。祖母が逝去するまでの長い時間が経過してきたことの示唆。そして彼等の一族がこのホテル(あるいは地球)に定住してきたことの重み。そして、結婚と葬儀を同時挙行するという、現代日本ではあり得ない新たな文化を彼等が創り出そうとしていること。物語の全体進行は穏やかだが、これまでの8回の描写の蓄積の上にある複雑な一回になっている。

 第10話。ホテル内殺人(?)事件。えっ……こんなのあり?と言いたくなる展開のネタ回。SFシチュエーション下でのミステリ(?)ならではの尖った描写が楽しい。つまり、人間的な倫理観を持たないアンドロイドと、独自の価値観を持つ異星人、そして子供を介した情報伝達錯誤、等々。
 白いドアを斧で叩き破るシーンは、『シャイニング』の"Here's Johnny!"にならないかとヒヤヒヤした。カーテン越しのバスタブシーンも、『サイコ』のように感じる。どちらもホテル(宿泊所)を舞台にした古典サスペンス映画なので平仄が合っている。ちなみに、偶然ながら小道具としてのキャンディは、『九龍』とネタ被りしている。
 キャストに関しては、陶芸家青年になった弟キャラは、ひきつづき田村睦心氏が演じている。成人男性キャラも演じられる田村氏はさすが。作中映画の犯人女性役は山村響氏。
 犯人または死因について。ポン子の弟が陶芸釉薬としてホウ酸か何かを常用していて、それが姪のタマ子の手にも付着したままで、そしてタマ子がアリ型異星人にじゃれついたせいで彼等が死んでしまった……という解釈が正しいだろう。劇中劇で、手をよく洗えと執拗に強調していたのも、逆説的に、手を洗わないことが問題になると示唆している。無邪気な行動がもたらす悲劇、科学的なミステリ、そして種族間接触の際に生じる危険性……王道のSFだろう。一見するとパロディまみれのネタ回だが、このようなしたたかな描写を織り込んできているのは、さすがの巧さ。

 第11話は、休暇を貰ったヤチヨが稼動延長のためのパーツ探しをする。長大な台詞無し進行の柔らかな緊張感に、ロードムービーめいた放浪の旅の情緒、そしてポストアポカリプスものの本領を発揮した廃墟趣味の横溢。オリジナルSFアニメならではの興趣を存分に味わえた。
 途中の回想カットに台詞があり、また吐息レベルの台詞もあるのだが、4:25からエクストラミッション達成音声(21:00)までの16分30秒以上、あるいは21:40までの17分15秒もの時間が、音声台詞ゼロ進行になっている。もちろん、昔の無声映画を初めとして、無音/無声の映像作品は多数存在するのだが、現代日本のクール制アニメとしては異例の演出と言ってよいだろう。
 台詞ゼロというわけではないが、廃墟趣味+モノクロ静止画ベースのSF映画『ラ・ジュテ』(1962)も思い出した。あるいは、この回を楽しめた人ならばタルコフスキー映画もいけるかもしれない。
 標準的な編成であれば、次回が最終回になる。このホテルの今後――つまりロボットたちの長期存続の問題や地球環境の状況など――を示唆するという意味でも、今回の描写には大きな意味がある。

 第12話。最後までユーモラスSFのスタンスを堅持した。長期間の地球外生存による人類の体質変化という苦み。地球環境が改善されるきっかけが最初の客からもたらされていたという偶然の味わい(※その客を受け入れていなかったら、地球のありようは別物になっていただろう)。主人公のアイデンティティ更新と、ポン子との友情。そして最後のとんでもない地球の姿。イマジネーションと遊び心に満ちた遠未来SFとしてきれいにまとまっている。ただし、社会的なコミットメントがほぼ皆無で、純然たる空想の世界のままに終始したという2020年代日本エンタメらしい無害さには、いささか物足りなさを覚えないではない。文明論的な批評性が、最後の「広告まみれの地球」という商業主義の前景化で終わってしまったのは、やはりもったいない。
 映像表現としては、ジャンプカットのような背景転換が面白い。顔芸遊戯は、今回も下品にならない範囲で使われていた。
 今回登場したキャラは、なんと、小松未可子氏。私の耳では判別できなかったが、誠実な芝居で最終回を説得力ある形で引き締めてくれた。



●『ある魔女が死ぬまで』

 第10話は舞台を変えて南欧風の港町に滞在しつつ、主人公の生育背景を明かしていく。脚本はやや説明的だし、中割アニメーションも微妙に不安定になっているが、それでも生き生きとした所作を表現していて見応えがある(※作画に関しては、「大きな鍔の三角帽子を被ったまま振り向きなどのアニメーションをさせるのは難しい」という側面もあるので、あまり咎めるべきではない)。
 ただし、なんとなく前世紀の名作劇場アニメのようなクラシカルな絵作りに感じた。ストーリーのせいなのか、舞台設定のせいなのか、それともただの錯覚なのかは分からないが。
 最初のうちは「ジャック・ルソー」かと思ったが、「ルッソ」なのね。……えっ、老院長は飛田展男氏だったのか。主演の青山氏は、ここに来てちょっと悪慣れしてきたのか、パワーが弱まってイージーな芝居になってきたように聞こえる。「物凄い声」のはずが音量も迫力もない発声だったりして、明らかに演出に合っていない。

 第11話は、王道のクライマックスで物語全体の道筋をきれいにまとめ上げた。ストーリーそのものはベタだが、鐘を鳴らすまでのシークエンスはBGMも消して緊張感を高め、そしてテティス役は主題歌を歌っていた坂本真綾氏という演出も上手い。晴れやかな鐘が響き続けるところも、成功間違いなしの抜群の盛り上げ具合。主演の青山氏も、今回は堂々たる芝居を披露している。あえて難を言えば、後半のカタストロフ危機が大きすぎて、前半の難病少年治療のシーンが霞みかけているのはもったいない。
 今回が最終回でもよいくらいの内容だったが、次回はあの黒衣の魔女とのエピソードがあるようだ。
 ちなみに、集めてきた涙のパワーをここで使うのかと思ったが、さすがにそこまでの無茶はしなかった。少なくともアニメ版12話だけで構成するなら、集めた涙のパワーが発揮されるのをどこかで見せておくのも良かったかと思う。

 第12話は、姉弟子を再登場させつつ、主人公のルーツを探る旅に出るという形で締め括った。冒頭のカタストロフ描写が重苦しすぎて、それを完全に解消したとは言いがたいが、「希望」のキーワードを再確認させたうえで完結させたので、筋は通っている。でも、11話までで終わりにしておいても良かったんじゃないかな……。
 母親役は佐藤利奈氏。最後まで贅沢なキャスティング。これまでも大原さやか氏や中原麻衣氏、 そして坂本真綾氏と、スポット登場のサブキャラが物凄い顔触れだった。



●『鬼人幻燈抄』

 第10話は安政2年(1855年)の「雨夜鷹」のエピソード。劇中劇にしつつ現代編のキャラたちを登場させているのは面白いし、描きたかったであろう筋書きと意味づけは察せられるのだが、おそらく圧縮しすぎで隔靴掻痒のもどかしさが残る。
 蕎麦を啜るアニメーションや、そばつゆの水面に映る像、暖簾をかき分けて出入りする所作、そして今回も下駄音の心地良さなど、映像としては繊細なで良いところも多いのだが……。剣戟シーンも、今回はちょっと頑張っていた。
 講談師の役は、一龍斎貞友氏。つまり、正真正銘、本物の講談師兼声優。
 コンビニの店員が妙に存在感を発揮していたり、その直後のカットでは手繋ぎ百合カップルが歩いていたりもする。原作小説には掘り下げた描写があるのだろうか?


 第11話は安政3年の冬。小林一三氏のコンテは奥行き表現や仰角カメラを駆使してたいへん印象的に構築されており、画面全体に緊張感がある。無言のうちに奇酒の不気味さを感じさせるのも上手い。音響面でも、じっとりと沈んだ劇伴や繊細な効果音など、冬のしんとした情緒が作り出されている。
 奈津が激怒したシーンは、リアリスティックな雰囲気とアニメらしい誇張的表現の間で絶妙にバランスを取りつつ、なおかつ、アニメではめったに見られないような強烈な表情を描いていて感心した。
 その一方で、モブ鬼を撃破するシーンはひたすら描写を回避している(冒頭も、酒屋のシーンでも)。作品の落ち着いた雰囲気を維持し、主人公による鬼の虐殺をあまり強調しないためと思われるが、同時に作画リソースの節約にも見える(※これまでの回でも、バトルシーンの作画は上手くなかった)。

 第12話は中編。人を鬼に変える魔酒とともに、ようやくラスボスが姿を現しつつある。映像面では、鬼とのバトルシーンが増量されているが、剣戟描写がアニメーションとしてはあまり上手くないので、州バンクのエピソードとしてはちょっと肩透かしに感じる。
 上田氏は下手だなあ……。せっかくのラスボス登場なのに、まるで迫力も妖気も足りていない。

 第13話はひとまずの最終回。最後の悲劇と、苦みのある浄化、そして無言の別離で締め括られた。バトル描写(アクション表現)は結局、今一つのままだったが、今回は騒ぎ立てない静かな演出が奏功して戦いの余韻を上手く残してくれた。夜の青みと炎の赤さの対比も印象的に構成されている。絵コンテは小川優樹氏。劇伴(BGM)も総じて控えめで、映像の美しさと密やかな情緒に集中させている。
 声優陣も、今回は主演の八代拓氏が特別に重々しい(低声の)芝居で、軋むように言葉を紡いでいる。奈津役の会沢氏も、これまではいささか物足りない出来だったが、今回はさすがに力の籠もった演技で最後の登場シーンを彩った。

 今後のスケジュール。2回の特別番組(総集編?)を挟んでから、第14回(明治編?)に入っていくとのこと。2クール連続で疲れが出てくる可能性もあるし、舞台設定が変わる(明治~大正)のも負担になると思われるが、この第1期の出来具合ならば上手くコントロールしていってくれるだろう。



●『九龍ジェネリックロマンス』

 第9話。いよいよ終盤に向けて黒幕キャラたちが動き出した。その都度場面状況と劇伴(BGM)の雰囲気がズレているところがあるのも、おそらく意図的なものだろう。情緒の定まらない浮遊感や、幻想上の城塞の非現実感などを示唆するものだろうか。
 これまで日常の食事シーンが度々描かれてきたのも、ここに来て大きな意味合いを持つようになってきた。とりたてて大袈裟な演出もなしに淡々と撮られていた食事のシーン群が、視聴者たちの目と心に静かになんとなく蓄積されていたものが、そうした体験の積み重ねがここで映像上の実感の手応えとして効いてきている。
 それにしても、「眼鏡とチャイナドレスが相性は悪い」というのをずっと残念に思っていたが、本作はその暗礁を見事に乗り越えてくれた。ありがたい。『サクラ大戦』の李紅蘭も眼鏡チャイナだったけど、それ以降もヒロイン級としてはなかなか描かれなかった。
 脚本構成がかなりしっかりしているように感じる。おそらく原作漫画のストーリー展望を踏まえて、アニメ12話のフォーマットに沿うように丹念に組み替えをしているものと思われる。

 第10話は、本館的に幻影九龍の謎に取り組もうとするが、友人の楊明はどうにも頼りないし、主人公は思いつきで九龍のお札を剥がして集めるばかり。とはいえ、巨大スラム構造物の美術的な魅力は増している。幻の九龍城塞は、いわばマヨヒガ伝承のようなものだと思うが、それを日本国内ではなく香港に設定し、しかも最先端テクノロジーの意匠で装わせ、さらにラブロマンスにも結びつけるというのは、実に上手いところを突いている。
 元・男の娘の小黒(シャオヘイ)君は、今回やけに可愛らしく描かれている。
 今回は、新規のED曲。たしかに九龍がもはや後戻りできない形で虚像化したという決定的な違いはあるが、しかしED曲を変えるほどの断絶があったとは言いがたいので、このED曲切り替えはちょっと不思議な処理。

 第11話は、幻影九龍を作り出している原因がかなり明確に特定され、そして楊明と小黒はそれぞれ過去を振り切るとともに九龍が見えなくなる。作品コンセプトの切れ味と、それを堅実に表現する演出の成果というべき映像で、大いに引き込まれる。
 それにしても、最初から再視聴していると、第1話に下品なエロショットが出てくる場違いな唐突さとまるでアダルトアニメのような肉感的作画の異様さに、どうしても吹き出してしまう。あれはいったい何だったんだ……。いや、常夏の雰囲気を示すのに役立ってはいるけれど。

 第12話。キャラクターたちの悔恨に、一つずつ決着が付けられていく。今回は作画がやや平板だったが、会話劇の密度は高く、カタストロフを予感させる物語に引き込まれる。なお、エンディングは当初の「恋のレトロニム」に戻った。
 みゆきの母親は誰が演じているかと思ったら、「スーハン:金元寿子」か!

 第13話は、幻想世界の崩壊と消滅のカタルシスを通じて、ハッピーエンドで締め括られた。テクニカルなどんでん返しをしたわけではなく、最後までラブロマンスとしての情緒を維持したのも一つの見識だろう。
 蛇沼みゆき役の置鮎龍太郎氏の怪演も、グエン役の坂泰斗氏の引き締まった芝居も、そして工藤役の杉田氏も最後まで芯の詰まった演技を聴かせてくれた。金魚のサクセスが喋ったのもびっくりしたが、あー、実写版の俳優が声を当てたのか。



●『小市民シリーズ』
 
 第19話(2期の中では9話目)。 中学生時代の二人が出会って自動車事故の謎を解明していく話と、それと似たような現在の事故問題との二重進行。ただし後者の状況はまだ見えてこない。岐阜県の堤防沿いの風景がたいへん情緒的だし、この過去エピソードでは青空もしばしば描かれる(※現在の病室風景との対比でもあろうが、ストーリー的な待避になるかどうかはまだ分からない)。
 男性の医師やリハビリ系療法士、清掃員には名前が出ているのに、看護師だけは無名(クレジットも「看護師」)というのはちょっと引っかかる。たぶん謎に深く関わってくるのだろうけど……。小説媒体であれば顕名/匿名の違いは気づかれにくいし、登場人物の存在感もコントロールしやすいのだが、それに対してアニメだとキャラクターの存在が映像上ではっきり映されてしまううえ、クレジットでも名前(の有無)がリストとして不可避的に明記されてしまうので、こういうトリックを仕込むには不向きだと言える(※ただし、その一方で、小説では明確に言葉で描写するかどうかの問題になってしまうところも、映像媒体であれば暗黙裡にモブのように映り込ませておくという手法が使えたりもする)。
 絵コンテは高田昌豊氏。『宇宙よりも遠い場所』で神戸氏との共同作業経験があるようだ。

 第20話。レストランの店内環境ノイズも丁寧に付けられていて、落ち着いた雰囲気で視聴できる。ただし、動きが乏しく、謎そのものはあまり展開されていない。

 第21話。絵コンテは武内宣之氏。映像はリアリズムを極めており、ガラス面への映り込みまで描き込んでいる。光源表現(陰影)もたいへん細やかで、その場面ごとの雰囲気を良く表現しているし、さらにクライマックスでの強烈な演出にも光源演出が活用されている。そして、眼鏡レンズの反射も……ついでに眼鏡キャラがたくさん出てきて、最後は犯人まで眼鏡変装をしてくるという贅沢さ(※高校時代のシーンが本人だったならば、本物の度入り眼鏡だったのかも)。軋むような不協和音の劇伴も、切々と緊張感を高めている。ただし、トリックは相変わらずチープ。バンほどの大きな車をあの川の中に隠すのは無理でしょ……。
 小佐内さん、今更しおらしくしてもその加虐的本性はもう誤魔化せないよ……。平然と盗聴発言をしているあたり、倫理観の欠如を誤魔化すつもりも無さそうだけど。
 今回のサブタイトル「黄金だと思っていた時代の終わり」は、美しくももの悲しい。中学生の小さな世界で意気揚々と活動していた小鳩君が、おそらく初めてオトナの汚らしさに触れたこと、そして今回(高校生の現在でも)ふたたび大人の悪意に晒されることを示唆したものだろう。……もっと邪悪な存在が身近にいるのなね。

 今回は羊宮氏が濃密な情緒的芝居を注ぎ込んでいた。『ある魔女』第11話とともに、泣きの芝居でも鮮烈な印象を残した一週間になった。この異様なまでの切れ味はまさに宮妃那。
 『通販』の王女役では快活かつ思慮深いキャラクターにズシリと重たい存在感を与えたし、『ある魔女』では茫洋としていながら痛切な感情を吐露するシーンも凄まじいインパクトで演じていたし、そしてこの主演作品ではウィスパーヴォイスを最大限活かした小柄ミステリアスキャラで、シャイなところから、スイーツに目を輝かせセルシーンから、悲しげなムードから、本心を隠すデリケートな芝居から、邪悪さを噴出させる恐怖の語り口まで、全てを見事に演じきっている。

 第22話(たぶん完結)。前半はベタに犯人から追いかけられるシークエンスだが、ロングショットの屋上夜景が抜群に美しい。小鳩君が寒がりすぎなのは、真冬にもかかわらず普通の入院着のままだったせいか。続く屋内での会話シーンも戸外の風を薄く響かせて、夜の病院に特有の情緒を表現している。絵コンテは神戸守監督自身が担当している。
 羊宮氏は静かなウィスパーヴォイスだけでなく、引き込まれるようなミステリアスな芝居も、悲壮な感情の噴出も、そしてユーモアを含んだ台詞も、どれも抜群の濃密さで演じているのが素晴らしい。ノンシャランにからかうようなユーモラスな雰囲気を滲ませる匙加減も、実に上手い。看護師(日坂英子)役の青山玲菜氏も、破滅的な激情の芝居が印象に残る。
 脚本(原作)は最後までチープ。昔のTVのサスペンスドラマでも、ここまで安易なのは少ないんじゃないかと思ってしまうくらい。とりわけ、御都合主義的な偶然が多すぎる。例えば、看護師犯人が主人公を自動車でひいたら、たまたま犯人が勤める病院に入院して、しかも犯人が彼の専属担当になるというのはさすがに説得力が無い。また、最初のひき逃げ犯がたまたま、一本道の先にあるコンビニで勤務していて監視カメラの録画映像を改竄できたというのもひどい(※コンビニへの通勤途中だった可能性を差し引いても、依然として作為的に過ぎる)。さらに、読者を惑わせるためのミスリードネタの仕込み方も不誠実だと感じる。キャラクター造形も、エピソードごとにブレている(特に小鳩君は、デリケートだったり無神経だったりする)。

ちなみに、第1話(つまり第1期の序盤=高校入学当初)を見返してみると、小佐内の態度がものすごく気弱で口下手なのが微苦笑を誘う。あれから3年掛けて、ふてぶてしく本性を出すようになったのか、成長とともに人間的にタフになったのか、それとも石和たちを排除して気分が落ち着けるようになったのか……



●『LAZARUS』

 第9話は査問委員会の茶番と、腕試し戦闘の茶番。戦闘描写はサーカスのように派手だが、殺人行為や死体の描写がリアリスティックでかなりグロい。そして本筋のタイムリミット問題はほとんど前進いない(※スキナー発見まで「あと一歩」というほど迫っているとは思えないので、ただのブラフだろう)。
 舞台設定の面では、今回はニューヨーク周辺をフィーチャーしている。

 結局のところ、リアリティの水準が揃っていないのが問題であるように思える。絵柄そのものや、写実的な運動アニメーションは、かなり現実寄りのスタンスで受容されることを期待しているように見える(そう見えてしまう)。しかしその一方で、台詞回しはチープで粗が多く、荒唐無稽なヒロイックアクション映像を志向しているように見える。だから、映像表現を額面通りに受け取ろうとすると状況の安っぽさが気になるし、かといってお気楽なアクション映像として楽しもうとすると、遊びの余地の小さな映像表現の生真面目さが足枷になってしまう。さらに言えば、「そういう慣例的なリアリティコンロトールを解体して、あえてそこにギャップを生みつつ、新しい感受性を打ち出す」というアプローチも理屈の上ではあり得るのだが、本作の場合は、そういった挑戦的姿勢には見えない。「香港出身のスーパーハッカー」や「ロシア出身の元・特殊工作員」といった陳腐なステレオタイプや、世界各地の観光巡りめいた風景が、映像全体をひたすらベタなものとして押し固めていってしまう。……つまり、コンセプトレベルでの失敗に思える。
 これと同様に上記『小市民』も、突出した映像美と、それに対してあまりにも卑近な物語のギャップが、どうにも居心地が悪い。独善的で冷血で反社会的なキャラクターたちの言動が、映像を通じて美化されてしまっているという不気味さでもある。

 第10話は、リーランドの実家を訪れて姉弟喧嘩を目撃する。次回はパキスタンに向かうようだ。そして、ここに来て主人公君の身体が抗体を持っているかもしれないという話に……。
 相変わらず、表面上はグローバル志向のようでいながら実際にはおそろしく視野の狭い描写になっている。冒頭のTVニュースも米国ばかりのようだし、その一方で、他国に訪れるときはスラムや新興宗教コロニーやリゾート地といったエキゾティシズムに満ちた無責任な見せ方ばかりになっている。しかも、映像美の観点でも、中途半端と言わざるを得ない。
 なお、庭師がスキナー本人のように見えるが、この描写だけで意味が分からない。

 第11話は、引き延ばしが激しい。前話のリピートに続いて、中華系暗殺者とのバトルが長尺で展開され、しかもその暗殺者の過去トラウマ映像もまた不必要に長い(※ただしそのシーンで、映像の各パーツがグズグズに浮遊するところはちょっと面白かった。3D素材のユニークな使い方だ)。そもそも、アクセルを暗殺しようとするのも、本筋からズレて――というか遅きに失して――いるので、なんとも据わりが悪い。
 それにしても、手榴弾を蹴り返すのは笑ってしまう。今時そんなネタをやるのか……。人類滅亡まで残り一週間を切っている筈なのに、モノレールや長距離トラックがいまだに平然と運行しているという呑気さも、切迫感もリアリティも無くてたいへん居心地が悪い。最初に提示した設定に対して、作り手側がずっと雑な姿勢のままであり続けてきた。

 第12話。結局のところ、「陳腐」の一言に尽きる。台詞回しはどこかで聞いたような凡庸なものばかりだし、ストーリー進行としても各キャラクターの動きが連動しているとは言いがたいし、今回は映像的にも見るべきものが無い。格好を付けるのが第一目的のような作品なのに、台詞が通俗的でセンスの低さを露呈させているのは実につらくて、悲しい気分になる。
 『九龍』ともども、全13話の中の第12話が最後の助走の勢いづけに失敗したのはもったいない。

 第13話は、暗殺者のバックグラウンドや米国の生物兵器開発、そして過去の襲撃事件を素描して終わった。しかしいずれも乱雑で、有意味な連携が為されていない。5人の遺伝子変異云々も説得力を欠くし、バトルシーンの決着も肩透かし。結局のところ、「米国の都市文明、メディア、株式市場」と、「各国の貧しい暮らしのエキゾティシズム」という醜悪な対比が温存されたまま、ただ表面的に美しい画面を作ったにすぎない。
 そう言えば、主人公の体質問題に何かあるのかと思いきや、ラザロチーム全員が抵抗力を持っているという、よく分からないオチになっていた。いったい何をしたかったんだ……。

2025/05/13

2025年5月の雑記

 2025年5月の雑記。
 
今月の一枚は「ユクモ」3形態。手間を掛けた割に、写真上での見栄えはたいして変わっていないが、実物ではもう少しふっくらした毛並み感が実現できている。

2025/05/12

『悪役令嬢の中の人』原作小説版と漫画版の比較

まきぶろ『悪役令嬢の中の人』(原作小説、単巻)と、白梅スズナによる漫画版(全6巻)の内容比較。

2025/05/02

アニメ雑話(2025年5月)

2025年5月の新作アニメ感想。作品タイトル五十音順で、それぞれ話数順(昇順)。

2025/05/01

漫画雑話(2025年5月)

 2025年5月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 今月から新規作品は出版社やレーベルも記載してみる。会社ごと、雑誌ごとにカラーがあるので、関連情報として一定の意義があるだろう。

●新規作品。
 パミラ『骨姫ロザリー』第1巻(OVERLAP、原作あり)。ファンタジー世界で、とある孤独な少女が強大な魔術的能力を身につけ、そして彼女にネクロマンサーの力を分け与えた男性とともにいろいろ活動する話になるようだ。ベタな設定ではあるが、薄幸少女のバックグラウンドやその成長ぶり、そして程良く(?)荒々しい世界像の情趣など、心に残るものがある。いずれ立ち向かわねばならない強大なヴァンパイアの存在も上手く効いてきてくれればよいが、どうなるかは知らない(※原作小説は未読)。漫画家は、『白地図のライゼンデ』に続く2作目の連載になるようだ。
 soon茶(スンチャ)『ヤン先輩はひとりで生きていけない』第1巻(ガンガン)。自立心の強い女性(日本の大学生)と、他人と接触できない中国人留学生が交流していく話。「可愛げがない」と周囲から言われがちな人物が苦闘しながら自尊心を確立させていく過程。一見美形で裕福だが接触恐怖や生活無能力といった弱点を抱える男性の脆い魅力。そして、おそらくはラブロマンスになっていくであろう物語。続刊に期待したい。
 からあげたろう『聖なる加護持ち令嬢は、騎士を目指しているので聖女にはなりません』第1巻(竹書房、原作あり)。タイトルどおりのシチュエーションだが、ややデフォルメしがちな主人公の元気さがたいへん気持ち良く描かれているし、周囲のモブ騎士たちも愛嬌がある。背景美術にもムードがある。ストーリーはどうなっていくか分からないが、表紙買いが当たった掘り出し物。作者はずいぶん風変わりなお名前だが、これまでいくつもの連載経験のある漫画家。旧作もいくつか読んでみたい。
 近江のこ『もうやめて回復しないで賢者様!』第1巻(バンチ)。全年齢リ○ナ漫画だが、設定も描写もなかなか凝っている。リョ○漫画だけど。冒険者を目指す主人公少女には、瀕死になると発動するスキルがあり、賢者は彼女を危険なモンスターと戦わせては即時回復させながらそのスキルの謎を探っていくという話。グロいが流血はごく控えめ程度で、しかもその筋には珍しい高品質な作品(※そういうマイナー趣味は、頂点も低いのが通例なので)。ちなみに本作と、すぐ上の『加護持ち』は、「魔法で回復再生し続けられれば死なない(=最強の保障がある)」というガジェットが共通している。ありがちなゲーム的アイデアなので(例えばモンク系キャラ)、こういうネタ被りは珍しくないと思われるが、その共通アイデアから、片やポジティヴなお嬢様キャラ、片やダークな無限グロと対照的な展開に持って行っているのが面白い。
 恩田ゆじ『まやか姉さんは嘘がつけない』第1巻(講談社、小さめの小B6判サイズ)。年上ヒロインが男性主人公についつい好意的な発言をしてしまうが、いつも「嘘だ」ということにして誤魔化しているシチュエーション。「からかい」系の一種と言えるが、キャラには魅力がある。作者はこれまで少女漫画でキャリアを積んでこられたので、かなり意外な路線変更かも。
 三浦靖冬『ベッキーさんと私』第1巻(北村薫氏の原作、小学館。大きめのA5判単行本)。昭和初期を舞台にしたミステリの漫画化。トーン不使用で黒ベタの影の濃い画風で、アクションは乏しいが街の情緒と会話劇の緊張感、そしてやはり低年齢キャラ。ちなみに原作小説は未読。
 藤見よいこ『半分姉弟』第1巻(リイド社)。複合ルーツの人々のオムニバス。アフリカ系フランス人の父親と日本人母親の間に生まれた姉弟が、名前を日本人らしく改名することで議論する。あるいは、中国系の母親を持つ女性が、とある客の中国人差別的な発言にショックを受けたり、母親(の言語)に対する馴染めなさをずっと抱いていたりする。その一方で、その差別発言をしてしまった知人女性も、障碍者差別の問題に心を痛める良心的な人物でもある。相手の境遇や苦しみを理解しきることは不可能だが、それでも他者の尊厳を認めあい、せめて自分の狭い周囲からでも他者を受け入れようとする姿勢から、多様な共生の社会を少しでも良い形にしていけるという希望を描いている。
 火鳥満月(ひのとり・まんげつ)『Beat again』第1巻(メテオ/フレックス)。若くして引退した音楽家が、天才的な歌唱能力のある少女と出会って彼女のために作曲やサポートをしていく物語。筋書きそのものはベタだが、作画と演出が表現意欲に満ちていてたいへん面白い。作者は新人のコンビクリエイターとのこと。ところで、今どき英語タイトルの作品なのは珍しいかも。
 押見修造『瞬きの音』第1巻(スペリオール連載)。逝去した妹を巡る自伝的作品のようだ。震えるような描線やウェットなベタ塗りなどに大きな特徴がある。この漫画家の作品を読むのは初めて。
 桃月はち『能ある夫人は離縁届けを叩きつける』第1巻(双葉社/ACTION COMICS。電子版はすでに5巻分刊行されているようだ)。不実な貴族男性と離縁し、帽子店として独立の事業を始める女性の物語。舞台設定は、蒸気機関車が実用化されている洋風架空社会。ビジネスものとしては程々だが、意志的で凜々しい太眉主人公は魅力的。作者はこれが2度目の商業連載のようだ。


●カジュアル買い。
 ふじつか雪『トナリは何を食う人ぞ:ほろよい』第13巻(花とゆめ)。新婚カップルの家庭料理漫画。少女漫画なのだが、萌え寄りの絵柄も、新婚夫婦というシチュエーションも、かなり珍しい路線と追われる。パートナー描写もなかなか今風で、対等にお互いを尊重し合う夫婦像で描かれているし、主人公以外のサブカップルたちもそれぞれに掘り下げているのが見て取れる。例えば、「料理上手な夫」、「出産直後の妻を大事にする夫」、「肉食妻と草食夫」、「学校教員の妻」など。
 それにしても、少女漫画や少年漫画はリーズナブルよね……。一般の漫画単行本が税込800円台~900円台なのに対して、これらは500円台に収まる価格を維持している。もちろん、制作販売のコストが低いわけではないだろうし(子供向けだと、そもそも高価格ではまったく売れない=商売が成立しないと思われる)、薄利多売戦略を取れる市場でもないだろうから、さぞや様々な工夫と大変な努力をしているものと推察する。例えば「売れ筋コンテンツに集中」、「固定客を作る周辺戦略」等々。
 星樹スズカ『悪役令嬢の矜持』(既刊2巻、ガンガン)。第1巻はいわば一種の倒叙ミステリーで、妖気のあるツリ目主人公の表情も素晴らしく、巻末でいったんきれいにオチがつく。これだけの話を一冊でまとめきったのは驚き。ただし仕掛けはやや強引だし、第2巻は他者視点からの語り直しや主人公の弱気恋愛ストーリーに傾斜していくようで、ちょっと残念。ちなみに主人公のキャラ造形は、女性向けというよりはむしろ男性向けのツンデレヒロインをアレンジしたような感じに見える。続刊を買うかどうかは……。
 もりちか『うるしうるはし』第3巻(完結、秋田書店)。金沢で漆職人を目指す男子高校生と、近所に住む旅館の娘(年上)のラブストーリー。穏やかな恋愛ものとして堅実な出来。タイトルの語感とストーリー担当を見て『あそびあそばせ』を思い出したが、涼川りん氏ではなく、樋渡りん氏だった。
 とこのま『稲穂くんは偽カノジョのはずなのに』第2巻(アース・スター)。事情があって女性として通学している同級生(内面は完全に男性)と、ナンパ除けのために付き合っているフリをする主人公男性の物語。ベタではあるが、周囲のサブキャラたちの人間関係も掘り下げられているようで、わりと面白かった。作者はこれが初連載。第1巻も読んでおこう。
 みら『百合SMでふたりの気持ちはつながりますか?』第5巻(芳文社)。年を経た二人のすれ違いドラマから、ややギャグっぽい学生間のやり取りまで、複数の百合カップルのSM的関係が並行して展開されるようだ。絵作りも、やや生硬ながらまずまずの出来。既刊まで買うかどうかは……うーん。
 小菊路よう『水曜姉弟』第5巻(完結、講談社)。おねショタ姉弟でワインを楽しむ物語。作品の存在は知っていたが、これまで買わずにいた。せっかくだから既刊も買い揃えて読もうかな。作者は現在、新たな連載『ヴォカライズ』(第1巻発売)を手掛けている。

 大野将磨『鬼龍伝』第2巻。鬼になってしまった人間が、龍族女性と狛犬の二人とともに旅をする物語で、他の鬼たちから襲撃を受けつつサバイバルしていくストーリーのようだ。激しいバトル描写の合間に、力の抜けたおふざけ台詞が執拗に差し挟まれるという風変わりなスタイルに、不思議な味わいがある(※その点では徳弘正也を連想させる。あるいは業務用餅に近いとも言える)。絵柄はかなり荒っぽいが、芸術の初期衝動めいた迫力があるし、漫画の展開を面白くしようと手を尽くす作者の努力もはっきり見て取れる。読者を惹きつける魅力は十分にあるし、個性的な描写も多いので、しばらくついていってみようかな。ちなみに作者の過去作品『リモデリング』は、超人たちが危険な存在として迫害される世界で、地下バトルで生き抜こうとする少女のシリアスな物語だったようだ。今作と比べて、なかなかの落差がある。
 というわけで第1巻も買って読んだ。ひとの尊厳を大切にする誠実な志操の高さと、毎ページのように挟まる漫才的やり取りのギャップがなんとも個性的で、そして楽しい。他の作品も買いたかったが、残念ながら近場のジュンク堂は在庫切れだった。

 BOMHAT『クオーツの国』(新刊の第5巻で完結した)。翼のある種族が悪魔たちと戦うファンタジー物語。古典少女漫画ふうの絵柄に、わりと過酷な戦いの描写、そして『宝石の国』を連想させるところもあるが、作者がカナダ人というのも興味深い。
 もちろん海外作家が日本の漫画界(日本の漫画誌など)で活躍する例は以前から存在し、例えば『蒼天航路』(李學仁は韓国籍)や、連載中の『DRAWING』(韓国)、『Dr. STONE』(韓国)、あるいはスウェーデン人による日本滞在ルポルタージュ風の『北欧女子』シリーズ、新堂エル(米国)、有名な榎宮祐(ブラジル)、『マタギガンナー』(作画はスペイン人)、そしてこの雑記でも言及してきたように中国の作家たちも日本で作品発表している。もちろん、他国作品からの邦訳版が出ているタイトルもあるし、同人レベルでも台湾を含めて様々な刊行物と文化交流がある。
 イラストレーターでも、台湾のREI氏が00年代から美少女ゲーム原画などで活躍しておられたのは、比較的早い時期の業績だったと思うし、さらに『青い涙』(2003)のCDPAは韓国スタッフ中心だったようだ。
 その一方で、グリヒル氏のように日本からアメコミに進出したクリエイターもいるし、フィリピンから日本風(萌え系)の絵柄で『アリス』挿絵を描いたKriss Sison氏もいる。ただし、海外でもmangaの人気が高まりつつあるとはいえ、まだまだ市場規模は小さくて、日本のサブカル系クリエイターが海外で生計を維持していけるほどの基盤は無いかもしれない。

 岩見樹代子『今日はカノジョがいないから』第6巻。三角関係百合から、さらに拡大していくようだ。学生どうしのじっとりした百合描写は、これはこれで楽しめる。


●続刊等。
 水辺チカ『悪食令嬢と狂血公爵』第10巻。この巻は討伐出陣のための準備作業で、状況説明台詞が多くてだれるし、料理に関しても屋台の綿飴を食べた程度で、やや魅力に欠ける。しかし次巻は派手な展開になっていくだろう。それにしても、カバーイラストが毎回微妙に色っぽい(※今回は肉付きの良い素足)。
 高山しのぶ『花燭の白』第9巻。いつも通りの最高級。キャラ絵はほどよく緊張感を湛えていながら、しばしば大胆にデフォルメさせるし、コマ組みも含蓄に満ちていて素晴らしいし、物語状況についても鬼族の隠れた歴史と人類との関わりを複雑に掘り下げている。ちなみに、おまけ漫画冊子付きの特装版で購入。
 椙下聖海『馬姫様と鹿王子』第4巻。今回は瑠璃先輩をフィーチャーしつつ薬師寺を訪問。古来の神々と、人類の愚かさと儚さと、そしてそれにもかかわらず人類が積み上げてきた文化の精華が、多層的に描かれている。優しい情緒と力強い意志のバランスが美しい。
 恵広史『ゴールデンマン』第5巻。旧ヒーローの邪悪さや、ブルースの過去話など、神経に障るような苦い物語が展開されつつ、巻末ではそれらを前向きに希望へ転換していく流れが美しい。
 宮木真人『魔女と傭兵』第5巻。剣戟描写は上手くないし、メインヒロインがステレオタイプ好都合キャラで食傷するし、それ以外も品の無い描写や酷薄な思考がたびたび現れるし、ストーリーの展望も渋滞しがちなのだが、それでも不思議な魅力がある。説明の難しい作品。強気に暴走しがちな戦闘美女キャラたちが頑張ったり苦しんだり怯えたりする描写が多いのもちょっと斬新。ちょっとゲスいなと感じる所以でもある。
 石沢庸介『第七王子』第19巻。山賊のマルスたちを加えて、ここから本格的に魔物7群とぶつかり始めた。人を救おうとする善き意志を描きだす手つきの美しさも、過去の過ちを想起する悔恨の苦みの真率さも、そして魔術バトル漫画としての凄味も、全てが素晴らしい。
 鳥取砂丘『世界は終わっても生きるって楽しい』第7巻。小動物サイズになった未来の人類(?)が、崩壊した世界を放浪する物語。失われた文明の遺産をなんとかして再利用する状況が増えてきた。終末旅行ものの中でも比較的早い時期の作品で、なおかつ、世界設定も凝っていて物語もドラマティックに展開し、しかも絵柄も低頭身で可愛いわりに、シビアな描写も含まれるという貴重な作品。
 焼肉定食『アンドロイドは経験人数に入りますか??』第6巻。タイトルの自己申告どおりの百合エロコメディだが、キャラクターたちの心根の優しさがなんとなく気持ち良い。
 藤田丞『大人になれない僕らは』第3巻(完結)。第1巻は青春の爽やかさと刺激的なループ状況が噛み合っていたのだが、途中からはネタ切れなのか、どうも迷走気味で、絵も荒れていた。最後はラブストーリーらしい展開で締め括られて、ひとまず満足はしている。自死描写がある点は要注意。
 胡原おみ『逢沢小春は死に急ぐ』第5巻(完結)。こちらも死を巡るドラマ(※異母弟に臓器提供してやるため安楽死しようとする少女)。難しいテーマだが、しっかりと誠実に描ききった。自死を決意ししつつ自らの人生の価値を獲得しようと苦闘する物語は、こだまはつみ『この世は戦う価値がある』(第5巻)も同時期に連載が始まっていた。こちらもたいへんな力作だが、いかにもスピリッツ誌らしい都会生活での捨て鉢なパワーに満ちている。
 緒里たばさ『暗殺後宮』第8巻。今回は宮廷衣装を仕立てる第11兄とのエピソードが続いている。有能だがシャイな宮女というキャラ個性、皇帝への思慕というドラマ要素、そして暗殺(を防ぐ)というサスペンス&アクションの側面がバランス良く含まれるし、嫌らしい悪役も少なめだし、ここぞというシーンはしっかり決めてくれるのでたいへん楽しく読める。
 椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第11巻。この巻は主人公の過去話の決着と、幕間のつなぎのようなエピソード集。描写がやや説明的にすぎるところめもあれば、逆に美的効果を最大化する幻想的な演出もある。
 NON『POLE STAR』第4巻。熱海を舞台にした、ポールダンサー志望少女の物語。いかにもモーニング誌らしく、やや垢抜けない絵柄と地道な描写でじっくり進んでいく。
 古日向ひろは『石神戦記』第5巻。大掛かりな決戦がひとまず締め括られるまで。おねショタと古代風世界に惹かれて読み始めたが、漫画として上手い。例えばバトル描写も、身体の動きをダイナミックに描きつつ、スピード感のあるコマ組みと意欲的なカメラワークで見事に演出している。読みながら、「えっ、この漫画ってやたら上手いな!」とあらためて感心した。
 あさりよしとお『超音速の魔女』第3巻。古典的にコミカルな画風をベースにしつつ、科学的(SF的)歴史的にがっちりした描写もさらりと忍び込ませて、対飛行船のドラマを展開している。トーンをほとんど使わない硬派な作画そのものにも、大きな魅力と迫力がある。
 幾花にいろ『あんじゅう』第3巻(完結)。さすがは日常駄弁り系漫画の名手で、リアリスティックな具体性の手触りのある台詞と、その一方で漫画的な(フィクションとして、エンタメコンテンツとして作り出された)機知に富んだ会話の間のバランスが面白い。二人がルームシェアを始めたエピソードを回顧して締め括った。相変わらず、あとがきが内幕や反省を正直に書きすぎているのが微笑ましい。
 冬目景『百木田家の古書暮らし』第6巻(完結)。三姉妹それぞれの恋愛が、決着を付けたり、新たな展開を迎えたり、あまり変わらないままだったりして、物語としては終わらせた。古典邦画的なホームドラマだが、読後感は良い。

2025/04/14

2025年4月の雑記

 2025年4月の雑記。

annulus「ブリジット」(『Guilty Gear Strive』版)。着衣の模様やプリント(文字)の一部に至るまで、パーツ分割で再現されているという凝りよう。金銀パーツやパーカーの裏地、靴などの細部は塗装した。サイズは約14.5cm。
「POP UP PARADE」フィギュアと並べて。フィギュアの方は約17cmで、各部がマッシヴに作られている(※靴の大きさに顕著)。それに対して今回のプラモデル版は、プロポーションは大人しめだがディテールはフィギュアにひけを取らない。

漫画雑話(2025年4月)

 2025年4月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

2025/04/13

アニメ雑話(2025年4月)

 2025年4月のアニメ感想。作品ごとの話数順(昇順)。

2025/03/07

2025年3月の雑記

 2025年3月の雑記。

今月の一枚は、これをトップに置いておこう。『三体』より「自然選択号」(メーカーは橘猫工業)。

2025/03/05

漫画雑話(2025年3月)

 2025年3月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 今月は何故か、(お色気)恋愛ものに秀作が多い。

2025/02/12

2025年2月の雑記

 2025年2月の雑記。

2025/02/11

漫画雑話(2025年2月)

 2025年2月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 何故か、今月の新刊はえろぐろ作品に秀作が多い。

2025/01/05

2025年1月の雑記

 2025年1月の雑記。

2025/01/04

漫画雑話(2025年1月)

 2025年1月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。